きまぐれ最前線

多趣味なオタクがいろんなことを書いていく

鳥人戦隊ジェットマンという作品について


この作品はそれまで「絶対正義に傾倒したヒーロー像」の否定と回帰を軸に語られた物語です。
何せ序盤からメンバーが揃わない不測の事態に見舞われ、偶然バードニックウェーブを浴びた正義感もない一般人達によって構成されているのですから。

唯一の正規メンバーである天童竜ですら死に別れた恋人リエのことになると使命を忘れ、私情に走ってしまう問題児揃いの戦隊で、序盤での団結はほぼ皆無に等しかったでしょう。

そういった彼らが一緒に闘っていくことで1つのチームとして纏まっていく「団結の物語」ジェットマンなのです。

チーム最大の問題児が結城 凱(ブラックコンドル)であり、「人間なんて滅びちまった方がいいんじゃねえか?」というヒーローあるまじき発言さえしてしまうのがこの男です。
この結城凱は所謂カッコつけの男で言うこともカッコよくダンディーでありながら、いざという時には情けない姿を晒してしまう弱い男なんですよ。
鹿鳴館 香(ホワイトスワン)に恋心を寄せていたのも、それは竜に対するライバル視、対抗心かたくるもので、いざ香と付き合うことになっても凱は価値観が合わずに自然消滅しています。
本当に子供のような彼ですが、それでも竜をライバル視するのは、何だかんだで彼の実力を認めているがゆえです。だから竜がリエのことで情けない姿を晒しているのが耐えられないのです。
普段はダメダメでもいざという時に決めるのがこの結城凱というキャラクターの魅力です。

さて、上記をみていると凱が主人公の様に思えてきますが、そうとも言い切れません。
ジェットマン「竜という人間の再生の物語」であり、恋人を失い、そこからバイラムとの闘いを通して仲間と団結し一人の人間として立ち直っていく様子を描いています。
思ってもチームがバラバラになる原因のほとんどは竜が原因で、仲間の事情も考えず一方的に正論を押し付けたり、リエのことになって戦意喪失するなど、凱とはまた違ったベクトルで「弱い人間」として描かれます。常に平常を装っているのは、自らの弱さをごまかしているに過ぎない。
終盤でリエが死に、悲しみに明け暮れラディゲへの復讐のためにジェットマンを脱退するなど最後までそれは変わらないのですが、香に「リエさんが好きだったのは地球を守る戦士としての竜だったはず」と説得され、ようやく振り切ったのです。
そのために皆が竜のために動き、ようやく全員揃ったところで劇中三回しか行われていない最後の個人名乗りとアタックを行い、ジェットマンが真の団結に至ったことを示す。
ジェットマンが個人名乗りも含めて行うのは、メンバーそれぞれの息がピッタリ揃ったときのみで、それがこの作品の最大の持ち味なのです。
ジェットマン最大の特筆点は正義だから勝てたのではなく「団結出来たから勝てた」という所であり、序盤はむしろバイラムの方が仲が良く、ジェットマンは本当にただの寄せ集め集団でしたが、後半に行くにつれジェットマンは団結していき、バイラムは仲の悪さ故に自滅崩壊して行きました。
こういった対比や工夫がジェットマン「団結の物語」と言われる所以であります
最終回の後日談、香との結婚式ではリエの幻影を見ても笑顔を向ける竜が描かれています。

最後にあの最終回の後日談について考察してみましょう。よく巷では「凱が死んだのは蛇足だ」という意見は目にしますが私はそうは思いません。
凱はひったくりに刺され、体を引き摺りながらも親友の結婚式に向かい、傷のことも言わずに祝福をします。死ぬかもしれないというのに、凱は満面の笑顔なのです。18話では死を前にし、「死にたくねえ!」と情けない姿を晒した凱が死を前にしても恐れていない。
この一年間で凱は「竜との友情」「仲間との絆」をという大切な物を手に入れ、何の悔いも無かったのではないでしょうか?だから笑顔だったのだと思います。
「人間なんて滅びちまった方が良い」とまで言っていた凱にできた大切な物が、彼らとの絆や友情だっと考えると非常に感慨深くなりますね。


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ベタ褒めしてきたので欠点を述べると過度期の作品なので、本筋と通常回で整合性がとれておらず、本筋以外は盛り上がりに欠けたり、アコや雷太が見せ場で割を食う等の弊害も残りました。

「弱い人間」「ヒーローへのアンチテーゼ」を得意とする井上敏樹氏、「男の友情」「正統派ヒーロー」を描く雨宮慶太監督だからこそ手掛けられた「不朽の名作」です。
井上敏樹氏の作品としては最も上手く纏まった作品であると思います。

以上でこの駄文を終わります。お付き合い頂きありがとうございました。

仮面ライダー龍騎という作品について

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この作品は星獣戦隊ギンガマン「未来戦隊タイムレンジャー」に次いで小林靖子さんがメインライターを手掛けられた作品であり、それまでのライダー像の革新と絶対的正義の否定を軸に語られた物語です

この世界におけるライダーとはつまり、「自らの願いを叶える為に闘う者」であり、全員が自らの信念や正義に基づいて行動しています。
勿論立派な正義や信念を持った者もいれば、本当にしょうもない目的で動く者、自らの暴力的衝動に身を任せる者もいます。
何故、龍騎でこのような物語が志向されたのかは、タイムレンジャーからの流れという文脈で見ると非情に納得できます。何故ならタイムレンジャーの世界には「巨悪」が存在せず、敵組織はただの犯罪者集団です。つまり敵も味方も皆が自らの信念を持って自分の運命と戦っていて、そういった時間の流れや1000年の狭間の中で葛藤するのがタイムレンジャーという物語なのです。
唯一違うのは、タイムレンジャーには弱い人間がいないのに対して、龍騎には弱い人間が沢山います。
ここでいう「弱い」というのは、戦闘力とかそういうことではなく精神的な強さのことです。タイムレンジャーの登場人物は若者や大人、犯罪者みなが芯の強い正義を持ち、「生への渇望」「力への執着」といったものに対して、皆が「自分達の明日を変える」ために行動していました。利己的な目的でも、そこには個人の人生を揺るがすだけの物があり、それに対して全員が強い信念を持って行動していたのです。
対して龍騎は本当にしょうもない弱い人間が登場します。「英雄になりたい」東條(タイガ)や「金持ちになりたい」佐野(インペラー)、「ゲーム感覚で自らが楽しむ為に闘う」芝浦(ガイ)はその典型とも言えます。本当に浅ましく利己的な目的ですが、それが逆にこの作品のリアルさに繋がっているのです。彼らは結局他の強い正義を持つライダー達に淘汰されていくのです。それが龍騎という物語が現代社会の投影たる所以とも言えます。
人間なら誰しもが持っている欲望を叶える覚悟を持った者こそが、この世界における「ライダー」なのです。
仮面ライダー龍騎SPでベルデが言った「人間は皆、ライダーなんだよ‼」という台詞も要は、仮面ライダーがやっている争いは、人間社会を投影させたものに過ぎず、誰かがミラーワールドを閉じても、また誰かが争うためにミラーワールドを起こすのが人間の本質であるということなのです。

そういった利己的な目的で動くライダー達のなかで、人を守る、闘いを止めるという正義感と信念に基づいて闘うのが主人公の仮面ライダー龍騎こと城戸真司、彼はライダー達が持つ背景や信念を知って、闘いを止めるべきか、止めるべきでないかと葛藤するのです。「闘いは止めたいが、それが本当に正しいことなのか?」、そうやって選択を迫られながら悩み続けて、最終的に自らも「ライダー達の闘いを止めたい」という願いを見つけて死んでゆきます。

龍騎という作品の中では殆どが人間としての「ライダー」です。ですが、最後まで人を守る、ライダー達の闘いを止めるために闘った城戸真司だけはヒーローとしての「仮面ライダーだったと言えます。

「それぞれの信念に基づいた正義どうしの闘い」というタイムレンジャーから継承した要素を発展させ仮面ライダーを一度否定することで、新たな視点で仮面ライダーを肯定する」という趣旨で作られた不朽の名作、それがこの「仮面ライダー龍騎」という作品です。

真っ当なヒーローを描くのが得意な小林靖子氏、ヒーローに対するアンチテーゼが得意な井上敏樹氏の2人だからこそ手掛けられた逸品です。

「この世界の片隅に」感想

いやあ素晴らしい作品でした。

こういう所謂「戦争モノ」の映画って戦争の悲惨さを伝えるために、やたらと暗さを全面に押し出すのが多くて、それもあってグッと乗っていけないイメージだったんですが、この作品は見事にそれを払拭させたと言えるでしょう。


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この映画の趣旨って「戦争」を描くことではなく、「戦争下の日常」を描くのが目的だったんだろうと思います。
思想や政治といった「大きな世界」が変革して動いていっても、すずちゃん達の生きる日常である「小さな世界」は変わらない。
綿密な風景描写による敗戦前の色彩と敗戦後の焦土により伝わる戦争の重さ、そして敗戦を一番悔しがったのはそれまで必死に懸命に頑張ってきたすずちゃんであるということ…
必死に頑張ってきたからこそ、最終的に報われなかったことを嘆いているのです。
こういった現実の非情さが「戦争の不条理」を象徴しています。

主人公のすずちゃんは本当に健気な普通の女の子で、見知らぬところに嫁入りになっても、一生懸命に頑張り、そこで愛を育んでいくといった「当時の女性」そのものなんですよ

絵を描くことが好きで不発弾により右手を失って、絵が描けなくなったとき、挫けそうになっても自分の今いる日常がどれだけ幸せなものであるかに気付き立ち直る訳です。

健気で底抜けに明るいからこそ、苦悩にも重みが生まれるし、日常の幸せや得られたものの温かさを自覚し立ち直っていく姿は、本当に儚く健気で泣けてきます。

ラストでは行き場を失った男の子に懐かれ、子供のいなかった夫婦の養子として迎え、三世代揃って一家団欒する様子が描かれ、この作品は幕を閉じます。

「現実と虚構」「喪失と創造」といったテーマと丹念に描き、失ったものの悲痛さを得たものの大切をもって乗り越える前向きさに勇気を貰えました。



たこの作品は作画による映像美が素晴らしかったです。砂糖の配給が少なくなると人間が嘆いている横で、カブトムシが蜜を吸っている描写も皮肉が効いていて、そういった細かなフォローがこの作品を傑作たらしめています。
様々な世代に向けてお薦めの出来る素晴らしい作品でした。

「二度目の夏、二度と会えない君」感想

先日書店で気になって買って読んでみましたので感想を


何というかこの作品の倫理観が受け入れられませんでした。

簡単な内容説明

主人公(智)が不治の病のヒロイン(憐)に最後言ってはいけないことを言ってしまいヒロインは結局、幸せに死ぬことが出来ず、憐が智に遺した遺書には「ごめんなさい」とだけ書かれていた。
智は激しく後悔し数ヶ月引きこもりの状態となってしまう。
ある時出掛けた智は憐の歌声が聞こえたような気がして、声が聞こえる方に足を踏み出し滑らせ、転がり落ちてしまう。
意識が遠のき、目を覚ますと目の前には、死んだ筈の憐がいた。


はい、んで智は最後、憐に何を語りかけたのか?
次はそこを引用して説明しましょう。

「あたし、智君に、みんなに会えてよかったよ。たった3カ月だったけれど、一生分楽しかった。ねえ、智君。これね、最後のわがままなんだけど… バンド、続けて。前を向いて頑張って。そうしてくれると、あたしは嬉しい」

智(無理だ。燐の代わりなんて見つからない)

いろんな考えが頭をよぎり、混乱した智はたった一つの気持ちを燐に伝えた。

「俺は、お前が好きだよ」

「ずっと好きだった。ずっと一緒にいたいと思ってた。だから…」

智は言葉に詰まって燐の顔を見上げる。すると…

泣き出しそうな燐の顔には、はっきりとした非難の表情が張り付いていた。

燐「なんで、そんなこと言うの」

燐「私は、君やみんなのこと仲間として大切に思っていて…そんなこと言われても迷惑だし…なんでこんなこと私に言わせるの!」

燐「出てってよ」

燐の声は恐ろしいほどに低かった。

智「ごめん、燐。燐がそんなに嫌がるなんて…」

燐「出てって!」

智は逃げるようにして家に帰った。
世の中には伝えてはいけない気持ちもあるのだ…


えーと…何の冗談ですかね?
まず状況として、智くんは憐のことが好きで、だからこそその気持ちを憐に決死の覚悟で伝えたわけですよね?

憐にはもう余命が残されていないから、せめて自分の気持ちを伝えておきたかったから…

なのにまるで智の告白が大罪であるかのような追いつめ方は何なんでしょうか?
「世の中には伝えてはいけない気持ちもあるのだ」という文章もちゃんちゃらおかしいです。恋愛感情なんて普通は誰でも抱くものであり、それを告白するのは人間が当たり前として行うことなんですよ。
これじゃあまるで「人を好きになることは罪」って言ってるようなもんじゃないですか。

100歩譲って智の告白に非があったにせよ、普通はそれを優しく包み込んであげるのが一番良いんですよ。
人が死んで辛いのは本人だけではなくその周辺の人たちも例外ではないのです。
いくら告白が不本意だったとは言えど自分の悲しみを露にして他人まで悲しくさせるってのは不味いんじゃないですか?

それに憐が智の告白を激しく拒否した理由って「自分は仲間として好きだったのに、智が自分に恋愛感情を抱いているのが嫌だった」という凄く身勝手な理由で全く感情移入出来ません。

何より最大の問題は、これらの描写が全てヒロイン視点でしか作られておらず、主人公の気持ちが一切考慮されていないことです

「世の中には伝えてはいけない気持ちもある」をテーマとして据えたいなら一人の視点ではなく、もっと広い視野をもって作劇に取り組むべきでしょう。ヒロインの悲哀を表現するために主人公が理不尽に追い詰められる正に「木を見て森を見ず」状態。

まぁこんなちゃんちゃらおかしい展開から物語が舵を切ってしまった為にその後の展開もイマイチ乗りにくい。
過去に戻った智は「好きだという気持ちを伝えない」為に行動するんですが、そもそもこんな後ろ向きな目的のために動かれても何だかなぁという気はしますし、何より智君は何も悪くないですからね。
物語が全ての罪を智君に着せた状態で物語は進んでいくのでやはり引っ掛かりがあります。

あとはやっぱり憐の描写ですね。過去に戻った状態から憐は本格的に掘り下げられるので「告白されて理不尽に激昂した憐」を既に見てしまった状態では、彼女の明るさはイマイチ響くものにはなりませんでした。
あとその描写を見ても憐は明らかに智に好意を持ってて、「じゃあ何であの時あんなに怒ったんだよ!」と突っ込んでしまいました。

これは「作者が意図してやっていること」なのか「ただ単にそこら辺何も考えずに書いた」のかはさだかではありませんが、ただひとつ言えるのは「人物描写が致命的に下手糞」ってことですかね

ラストは智くんは「好きだという気持ちを伝えない」というやったことは物凄く後ろ向きであるにも関わらず、作品が妙に前向きかのように物語を締め括ってしまった為に上手く纏まらなかった気もしますし…

智は好きだという気持ちを憐に伝えず、憐はそのまま幸せに死んで、最初は「ごめんなさい」と書かれていた遺書が「私もきっと智くんと同じ気持ちだったよ」という言葉に変わっていたという前向きに見せ掛け実際は妙にしみったれたラストでお茶を濁された感じは否めません。

正直、あの遺書でますます憐というキャラが何だったのか分からなくなりました。

憐は智を仲間として好きだったのか異性として好きだったのかは分からないというオチは演出として狙ったんでしょうが、それにしてはキャラクターがブレすぎましたね。

結局こんな本末転倒かつ支離滅裂な物語になるくらいだったら「憐に結局最期まで伝えられなかった気持ちを伝えに過去に戻り、そこから好きだという気持ちを少しずつ深めて最後に告白し憐は笑顔で死ぬ」という物語にした方がベタながらも王道で感動できた気がします。

取り敢えず今度から本を買うときはこんな地雷は二度と踏みたくないものです

未来戦隊タイムレンジャーという作品について

この作品は小林靖子氏が星獣戦隊ギンガマンに次いでメインライターを手掛けられ、小林靖子氏の全盛期のキレと作家性や作風が最も色濃く出た作品であります。

「明日を変える」というキーワードを中心とし「生と死」「歴史という枠組みの中にある個人の明日」「一つ一つの自由や行動、それに対する責任」といった抽象的で壮大なテーマを真正面から真剣に描き、どこか寂しさはありながらも最後には心の底から温かくなれる作品、それがこの未来戦隊タイムレンジャーという作品である。
設定が粗削りだったり不満の残る話もあるなど諸手挙げて褒められない部分は残ったものの、それでもこの作品には補って余りあるほどの魅力が詰まっていると思う。



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まず第一に特筆すべき点は主人公たるタイムレンジャー5人は戦うことを主目的に置いておらず、あくまで戦う戦士ではない「明日を変える為に動く現代の若者」であるということだ。彼らはTomorrowResearchの活動の一環としてロンダーズファミリーの逮捕を行っているに過ぎない。
だからといって正義感が無いわけではなく、お人好しで周りを放っておけない正義感の強い竜也元来の優しさとプロとしての使命感を持つユウリ自らも不治の病を患うがゆえ誰よりも命の重さが分かるアヤセ孤独な幼少期を過ごした為に誰よりも人懐っこいシオン自分勝手なようで誰よりも他人想いなドモンとそれぞれに自分なりの戦う理由が存在し、年間を通して掘り下げる縦糸とテーマが全員に設定されている。
唯一ドモンは序盤でホームシックを起こし、中盤ではヘルズゲート囚の前に怖じ気付いたりなどしていたが、そこで竜也たちに自分たちの戦う決意や覚悟を聞かされ、ドモンもタイムレンジャーとして戦っていく決意をしている。
タイムレンジャーは警察という側面で見ても非常に優秀であり、皆それぞれが成長していく青年であるが、それと同時に自らの使命には迷いがないプロや大人としても描かれ、きっちりと大人としての分を弁えている。
そして戦うことが主目的ではない彼らの目的とは何か?それは正しく作品のメインテーマである「明日を変える」ことにある。彼らは皆それぞれが辛い過去や事情を抱えており、竜也もまた自らの運命から逃れようとする青年である。竜也はそんな彼らにTomorrowResearchという居場所と「明日を変える」という求心力を与え皆をサポートする心の拠り所としてのキャラクターだ。
金持ちの坊っちゃん気質や前向きな性格も相まって妙なカリスマ性を持ち、臭いセリフを言ってもそれが様になってしまう。
そんな竜也の本質は「明日を変える」というメインテーマそのものであり、目の前にあるひとつひとつを解決することが大きな未来へ繋がると信じている。
そんな彼の前に立ち塞がるのが父親の渡と滝沢直人という青年である。
父親は浅見グループを継がせようと考えているため、それに反抗する竜也に幾度となく現実を見せている。だが竜也は現実に挫けても幾度なく立ち直っているし最終的には父親の考え方を認めているし、その時に「明日を変える」という信条も父親の真実を知ったことで改めて自分の弱さと向き合い乗り越えることで確固たるものにしている。父親もそんな竜也に呆れる素振りを見せつつも心のどこかではかつての自分の姿を竜也に重ね、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
そして父親の他に竜也の前に立ち塞がるのが滝沢直人という青年である。滝沢は力から逃げる竜也とは対照的に力を追い求める青年として描かれている。滝沢は誰よりも恵まれていてお節介である竜也に対して劣等感による強烈なコンプレックスを抱いているので竜也に対し、痛い所をドンドン突いてくるのだ。また力を追い求める理由も「明日を変える」ことにあり本質的には竜也とは似た者同士であるのが面白い。
結果的には竜也は勝者の運命、滝沢は敗者の運命を辿ることとなり、竜也は明日を変えることに成功し父親とも和解して「浅見の名」を自分の意思で受け継ぐ事を決意したが、対して滝沢は力を追い求めることに夢中になり、それが原因で地位や力を全て失い最終的には命を落としている。滝沢は「明日を変えられなかった」のだ。
だが滝沢は死の直前に「浅見…お前は、変えてみせろ」と言ってVコマンダーを託した。そもそも滝沢の竜也に対する強烈なコンプレックスは裏を返せば竜也に憧れ、嫉妬していたという証でもある。竜也が自分に無いものを全て持っていて、なのに手放そうとまでしているのが許せなかったのだろう。だからこそ死の間際に残したあの言葉は、滝沢が竜也の考えを認め、自分にはできなかった「明日を変える」を竜也には達成してほしいという想いに他ならない

また竜也と直人に触れたからにはアヤセとリュウヤ隊長にも触れておこう。
アヤセはオシリス症候群という病気を患っており余命幾ばくもない青年であるが竜也の「未来は変えられなくたって、自分たちの明日くらい変えようぜ!」という言葉に感銘を受け、自らも「明日を変える」為にタイムレンジャーとして戦う過程が描かれている。アヤセは竜也にのみ自らの秘密を打ち明け、竜也はそんな彼を心配しながらも一緒に戦う。一年を通して綿密に二人の友情が描かれているのだ。
そしてリュウヤ隊長もまた自らの死の運命を知ったため、それを変えようと必死に足掻いた人物である。「自らの命と31世紀を救う」為ならば何でもするといった姿勢や必死さが描かれていた。事実、リュウヤは自らのスケープゴートとして滝沢を選び自分の代わりに死なせている。
だが最終的にアヤセは生の可能性を残されたが、リュウヤはそのまま死の運命を辿ることとなった。
ではなぜ竜也とアヤセは「明日を変えられた」のに、滝沢とリュウヤは「明日を変えられなかった」のか?
それは正しく「仲間の有無」であり、竜也は誰に対してもお節介であるが絶大なカリスマ性も持ち合わせている。竜也は事実、アヤセ達4人の心の拠り所となってトゥモローリサーチという居場所を提供している。

対して滝沢は力を手に入れる為ならば何でもしていたし、容赦なく他人を蹴落として、地位を向上させていったのだ。

アヤセは自らの死の運命を自覚し、だからこそ命の重さを誰よりも理解して他人の命を守るという正義感を持っていた。
だからこそ滝沢が手柄を挙げるためにワクチンの元となる血液に爆弾を仕掛けた際には激昂する様を見せている。

リュウヤはアヤセと同じ自らの死の運命を拒んだものであるがそこからが違う。リュウヤは滝沢と同じようにその為ならばどんな手段すらも用いて滝沢すら自らのスケープゴートとしている。

これらのように皆「明日を変える」という意志は共通しているものの手段は全く別で竜也とアヤセは自らと他人の為に行動しているのだが、滝沢とリュウヤは完全な私の為に行動し、その為ならば何に対しても迷いが見られなかった。
このような2つの結末を用意したのは「自己犠牲と他己犠牲の否定」であろう。
目的のためならば何でもして良い訳ではなく自分と他人両方を尊重しなければならないというごく当たり前の結論なのだ。

また終盤の展開にも触れておかねばなるまい。
ロンダーズファミリーは壊滅し、また更に21世紀に大消滅という危機が訪れるのだ。
大消滅を止めてしまえば未来が変わる可能性がある。それはつまりアヤセ達の故郷である31世紀も変わる可能性があるのだ。
アヤセ達は21世紀に対して愛着が沸いているし大消滅も「止められるもんなら止める」「竜也さん達の世界を守りたい」とまで言っている。
だからこそ竜也はアヤセ達に未来を変えさせないため、31世紀に帰還させる。その31世紀は44話でのGゾードを倒した影響により個人の様々な歴史までもが改変された世界であった。
アヤセはオシリス症候群の治療法が見つかり、ユウリの家族も生きている。ドモンも永久追放の筈であったグラップというスポーツも一年の出場停止に留まっている。この際シオンもこじつけでいいからハバード星は滅んでいないことにしてほしかったものではあるが…

アヤセ達は「31世紀に残る」か「21世紀を守る」かで苦悩をすることとなるのだ。
だがアヤセ達は「21世紀を守る」事を選んだ。それは何より、「明日を変える」ことの本質にある「自分の進む道は自らで決める」ということであり、どんなに良い時代であろうと竜也と1年間紡いだ絆や友情、思い出を蔑ろにしてまで選んだ結果に価値はなく、重要なのはその過程であるということだろう。
竜也と同じように「大消滅から21世紀を守る」事を決意して、現代人の竜也、未来人のユウリ、アヤセ、ドモン、シオンは「一つのチームとして団結する」
これはスーパー戦隊の本質ともなる「団結」「星を守る」というテーマ、本作独自のテーマである「明日を変える」が最終回にして結実しているのだ。
一人で必死に戦う竜也のもとに4人が駆けつけるシーンは1年間見続けたからこその感慨があるだろう。憎まれ口をたたくアヤセやドモン、「私達は、この道を選んだの…」と自分の意思を伝えるユウリなど本当に今思い出しても涙が止まらない。
また竜也と4人の別れのシーンも秀逸である。
別れを前にして元気のない竜也をアヤセは「お前と一緒に変えた未来だ、悪いはずはない」と未来に対する可能性を信じて竜也を励ましていた。
ドモンは「辛気臭い顔するなよ、お前の勝負はこれからだろ?」と竜也に告げて、自分の選択を信じて生きていくように励ましている。
シオンは「竜也さん達と過ごした時間は絶対に忘れません」と1年間紡いだ想い出を大切にしていくと竜也に告げている。
そしてユウリ、竜也はユウリに好きだったと告白しそこで2人は自らの思いを確認しあい、ユウリは最後「私達は繋がった時間を生きている、竜也が作る明日の中に生きてるわ…」と決して自分達がバラバラになった訳じゃないと竜也を励ますのだ。

そしてED…1年後が描かれている、ホナミはドモンとの間の子を産み、竜也はランニングをしているのだ。
ランニングをする竜也を車に乗っている父親が追い越し、嬉しそうに振り返るシーン…今はまだ父親が先を行っているが、だが同じ方向を向いているのだ。竜也は「親父、いつかは真正面から浅見を受け止められるようになるよ。今はまだ直人の分まで生きる」と自分の運命にも逃げずに向き合う事を決意している。
結果的には浅見を継いだのだから未来は変えられなかったのかもしれない、でも最初は親に言われるがままだったものが自分の意思で浅見を継ぐ事を決めた。つまり明日は変わったということなのだ。
こういった竜也の精神的な成長も今作の大きな見所の1つだ。
そして「ユウリ、アヤセ、ドモン、シオン。お前達は千年先にいる、俺はそこに向かってるんだ。辿り着くわけ無いけど…でも!お前達とは確実に繋がってる。俺がこれから作る『明日』っていう時間の中で!」という竜也のナレーションで今作は締め括りを迎える。
だからこの作品が「明日を変える」を通して伝えたかったことは「運命は基本的には変えられないかもしれない…ただ、その運命を受け身ではなく自分の意思で選び取ったと自信を持って懸命に生きれば、それは未来に真っ直ぐ繋がって行く」という前向きなメッセージなのだ。
またその「明日を変える」というテーマを具体的にするため「生と死」、「力から逃げる者と力を追う者」といった普遍的なモチーフによる対比を取り入れた。
「生と死」はすなわち命であり、「力」はつまり社会に結びつくテーマ、先程も述べたがその「勝者と敗者」は仲間の有無によって決まる、そしてその仲間の有無は「本人の人間性に依存するのだ。
竜也やアヤセ含むタイムレンジャーは自分だけでなく他人の為にも行動をしていたし、だからこそ彼らは最後までまとまっていたし「心の絆で結ばれた仲間」であった。
だがリュウヤや直人は最後まで「自分のためにしか戦えなかった」。だからこそ彼らに仲間はいなかった。
「明日を変える」というテーマであるからこそ、そんな「明日の変え方」が重要になってくる。
それを人間性や仲間といった普遍的な、しかしとても重要であるものを明確な境とすることで勧善懲悪を守り作劇に明確な説得力を持たせたと思う。

この最終回は出色の出来で非常に大きな感動とカタルシスを得られたことは間違いない。
特撮でこれほどの感動を得られた最終回は他に鳥人戦隊ジェットマン」「ウルトラマンネクサスくらいのものだ。
アクションに関してもやや地味さは目立つが、キャラクターの成長要素をそのまま戦闘に直結させることで一定のカタルシスを紡ぎ出すことには成功していると思う。
何より刑事という設定を生かし「相手を殺してはいけない」という制約を加えることで戦闘に一定の緊張感を与え、相手との駆け引き等のロジカルな戦いを見せてくれた。
「これからいったいどうなるんだろう?」といったワクワクさせるような演出も非常に巧かったと思う。
だがドラマ重視の作劇上、真正面から正義のヒーローという訳ではない。みな正義感こそ持っているがタイムレンジャーとして戦う動機は「明日を変える」という完全な私によるものなのだから。
とある人が言っていたがタイムレンジャーは確かに名作だ。だがかっこいいのは竜也たちであってタイムレンジャーではない」という言葉の通りなのであ竜也たち5人を中心とした「明日を変える為に動いた青年達のドラマ」は非常にユニークであり、とても綺麗に結実していた。それだけで十分に評価できる。
5人それぞれに設けた縦糸を丁寧に掘り下げ綺麗に結実させたことで、全員がとても濃く愛着の持てるキャラクターとなったのは、やはり評価されてしかるべきだ。
終盤の盛り上がりや最終回の感動、キャラクターの造形美や秀逸なストーリー含め、全てが小林脚本随一のクオリティです

正に小林靖子氏の最高傑作と呼ぶに相応しい逸品です。


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筆者はスーパー戦隊シリーズの中でタイムレンジャーが一番好きだ