Time and Space

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未来戦隊タイムレンジャー

さて、このシリーズ第24作目に位置する未来戦隊タイムレンジャーですが、今現在においてもこれ程 脚本家の小林靖子さんの作家性が反映された作品は他に無いと思います。
小林靖子さんは登場人物たちに過酷な現実や試練を与え、葛藤の末にそれを乗り越えさせるという作劇を好んで使っているのですが、それはこのタイムレンジャーで十二分に発揮されました。
ただ少し特殊だったのは現代人の竜也で、ユウリ、アヤセ、ドモン、シオンの未来人の面々に比べると背負っているバックボーンは軽いと言わざるを得ません。竜也は非常に溌剌とした若者で、未来人たちはどちらかといえば目の前の現実に行き詰まっているような様子でした。
ただこれは現代人と未来人とで別ベクトルのヒーローとしての成長を描きたかったのではないかと。
竜也は周囲から現実の過酷さを学び、未来人たちは竜也から前向きさや行動力を学んでいく。互いに無い物を培って支えあい、最後に真のヒーローになる物語を志向したのではないかと思います。

タイムレンジャーの構成は特殊で5人それぞれにドラマが設けられそれが終盤に向けてひとつひとつ結実していき、それが一つの「明日を変える」という壮大な物語となる。歴代でもここまで高度な事をやりきったのはおそらくタイムレンジャーのみと思われます。
また竜也や直人、アヤセやリュウヤ隊長を通して「生と死」「勝者と敗者」という容赦ない現実を提示しつつも何故そこに至るのかという理由付けも含めてキッチリとやってくれたのが素晴らしい。危うく選民思想にもなりかねない題材をギリギリのラインまで踏み込んで描いてくれました。
何より物語に巨悪と呼べる人物がおらず、皆、根は善人だったというのが特徴でしょうか。だからこそそんな彼らが抗えなかった運命の残酷さも際立つのですが、運命に勝てたかどうかの明暗を分けたのが「人柄や振る舞い」「仲間の力」であったというのは秀逸。全員が根は善人であるからこそ「正義も悪も立場が決めるものではなく心と行動が決めるものである」という事を作劇として示しました。
そして千年の狭間から生まれる歴史という抗いようのない大きな物語、個人の悩みや日常といった「小さな物語」のリンク。つまり「大きな歴史とその中にある個人の明日」という構図。この構図があるお陰で彼らの物語に壮大なスケールや骨太なドラマ性が宿る訳ですね
またタイムレンジャーの物語を支えている柱として「何気ない日常描写」があります。皆で食事やバーベキューをしたり、仕事や買い物なども描かれ、何より5人全員が一緒に暮らしているので戦隊の居住スペースがそのまま私生活として反映されるというのが大きいのかなと。全特撮で見てもここまで生活感の感じられる作品ってなかなか無いと思います。

そしてこの作品1番の良さは各登場人物の深みある造形であり本当に一人ひとりのキャラクターが素晴らしい。歴代でもキャラクタードラマの秀逸さ、完成度にかけては断トツだと思います。先程述べたように5人それぞれにドラマが設けられ、行動原理が皆、一貫して「明日を変える」事であったことなど基本造形がしっかりしているのも大きいのですが、シリアス、コメディ、日常シーンを大事にして積み重ね、大事な見せ場ではしっかりと盛り上げてきました。
リアルな心理描写に加え日常シーンの積み重ね、役者さん達の演技があったからこそあの生きているキャラクター達は生まれたと言える。特に好きなキャラを挙げるならやはり竜也、アヤセ、ユウリ、直人の4人は別格ですね。
特に竜也、主人公かつ狂言回しという面白い立ち位置で「明日を変える」という作品のテーマがそのまま反映されたキャラクターはとてもエネルギッシュであり何度現実を突きつけられても立ち直り、終盤、大消滅から21世紀を救う覚悟を決めて独りで戦う姿はヒーローそのもので、非常に魅力的なキャラクターであったと思います。今まで見てきた作品でも最も好きなキャラクターの一人です。

終盤の盛り上がりは流石でしたが、ラスボスがいないというのも大きな特徴でした。大消滅はどちらかというと災害ですしね。つまりそれまで自分の運命と闘ってきたタイムレンジャーの最後の敵は「世界の運命」であったという風に徹底して「運命と戦うヒーロー」であると強調したのも良い所。
最終回では、タイムレンジャー5人は真のチームとして団結し21世紀を守って真のヒーローとなりました。
要約すると、若者たちがヒーローをやりながら成長していくヒューマンドラマだった訳ですが、つまりジェットマンと同じ事を、でもジェットマンとは違う形で提示できたのではないかなと。
描かれる人間のカタチが真逆なので相反するようですが、実は提示している物語の形は同じ。

そしてこの作品のテーマであり、キャラクターの行動原理ともなった「明日を変える」最終回でそれを実現するなど、愚直なまでにテーマを徹底して一貫したのがこの作品の纏まりを支えているのだなと。

正に小林靖子脚本の頂点にしてスーパー戦隊「最高傑作」でした。

未来戦隊タイムレンジャー CaseFile50「無限の明日へ」

CaseFile50「無限の明日へ」

(脚本:小林靖子 監督:坂本太郎
まだ全話書く余裕は無いのですが、この最終回は思い入れが強いので感想を書こうかなと


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前半、過去に戻ろうとするアヤセ達とそれを止めるリュウヤ隊長の構図。そしてアヤセとリュウヤ隊長の絡みで浮かび上がってきた衝撃の事実…「竜也たちとリュウヤ隊長の行動原理が同じである」ということですね。それまで「明日を変える」ために動いてきたタイムレンジャー5人とリュウヤ隊長は本質的には同じでした。

リュウヤ「自分の死を知ったら…それを変えられる手段があったら、誰だってそうする。そうだろ?」

アヤセ「あんたも明日を変えたくて…」

そして息絶えるリュウヤ隊長ですが、このシーンでアヤセとリュウヤの対比構造が浮かび上がるという見事な構成。
アヤセもオシリス症候群という病を抱え、現実というものに消極的でした。そんな時に竜也の「明日を変えようぜ」という言葉に救われたのですよね。自分にももしかしたら生きる可能性、自らの居場所(=タイムレンジャー)があるかもしれないと
でもそれはリュウヤ隊長も同じでした。彼も自らの死の運命を知った事で躍起になってそれを変えようとしたのですね。
でも運命は残酷であり、アヤセは生きる可能性を残されましたが、リュウヤ隊長は結局 死の運命に落ちてしまいました。

彼らの運命を分けたのは結局「自らの人柄」と「仲間の力」だった訳です。そう、直人が死んだ理由だって本質的にはリュウヤ隊長と同じ。直人やリュウヤは「明日を変える」という目的はタイムレンジャーと同じでもその視野には自分達しか見えていなかった。自らの運命を変えるために他人を蹴落としてしまったのですよね。そこがタイムレンジャーとの最大の違いで竜也たちは「明日を変える」ために動いても、周りの人達を助けるという事を決して忘れなかった。そういった彼らの優しさが自然と仲間を惹き付け、直人やリュウヤ隊長は自然と孤独になった。
これまで「明日を変える」という極めて個人的な目的のもとに戦ってきたタイムレンジャーですが、やはり最終的には真っ当なヒーローらしい結論となりました。
「明日を変える」ために戦う痛みを抱えた若者たち。そう、痛みを知っているからこそ他人の痛みが理解できる。だからこそタイムレンジャーは他人のためにも戦えるのですよね。逆に直人やリュウヤ隊長は同じ痛みを抱えた者でも結局は自己を優先してしまった。
何より凄いのはこの結論や対比構造を最終回で浮かび上がらせる構成力…流石は全盛期の小林靖子さんですね。

こうしてリュウヤ隊長の死を見届けた未来人たち…非常にやるせない気持ちを感じながらもタックの言葉に励まされ21世紀に戻ることを改めて決意。
ここ…客観的に見ればアヤセ達のやってることは「歴史を変えるという反逆行為」なんですよね。本当ならば21世紀に大消滅が起きるというのが正しい歴史であり、それを変えようとする訳なので…でもそんなの関係ない。21世紀には彼らの積み重なった想い出がある、そして自分たちがかつて竜也の言葉に救われたように、今度は自分たちが竜也のいる世界を救いたい…そういう純粋な想いが彼らを突き動かします。
タックの「君達の選択は間違ってるかもしれない…でも僕は信じる。君達が自分で選んだ明日を…そこでまた会おう!」という言葉もグッときます。そう、正しい歴史や決められた歴史はなく選択肢の数だけ「明日や未来は無限に広がっている」タイムレンジャー達は自分で未来を選んだと…

そして21世紀…
ここからは涙腺崩壊不可避の名シーンが続きます。
大消滅が襲い、そして大量のゼニット…正に世紀末を感じさせる絶望感で竜也も諦めかけます…凄まじい緊張感です。そこに未来から戻ってきたタイムジェット!乗っていたのは自分が送り返したはずの未来人4人。
ここはヤバいです。遂に彼らが「21世紀を救い、明日を変える」という道に交じりあいました。
そしてユウリの「竜也、新しい道が見つかるって言ったわよね?私は…この道を選んだの」という言葉、48話で竜也が言った「ユウリ、新しい道が見つかるよ…きっと」という言葉に対する返答と取れます。
勿論、彼らを案じて未来に送り返した竜也の行為は無駄になりましたが、やはり竜也は複雑ではありながらも嬉しかったのではないかなと。良い未来があったかもしれないのに、それ以上に自分の世界(21世紀)を救うことを優先してくれた。それほどまでに彼らの絆が強固であったことを示す素晴らしい名場面。

大消滅を止める作戦会議…DVディフェンダーが必要と言うシオン。竜也はVコマンダーを差し出すことで4人が知らなかった「直人の死」を知らせました。これは秀逸だな~と感心。
避難者の中にいたホナミ…遂にドモンはホナミと再会、思いを確かめ合い、遂に決戦の時がやってきました。
絵面は見辛いですが、それでも素晴らしい盛り上がりですね。本当にこれまでの積み重ねが終盤になるにつれて結実していきます…そしてこの巨大戦で特筆すべきはで直人がやって失敗した事が竜也がやって成功したという事です。本当に2人は「勝者と敗者」、交わらない関係にあるのだなと…
でもやはり竜也が成功できたのは「仲間の力」のお陰。みんなが必死に頑張ってくれたからは成功できたわけです。2人の人柄の違いが仲間の有無を左右し、それが最終的に彼らの運命を決めたわけですね。
そして大消滅を止めることに成功した竜也と4人、遂に別れの時です。本当なら別れたくはない、でも世界はそれを許さないのですよね。でも彼らはやれるだけの事をやりきり、思い残す事はもう無い。だからこそ悲しくても悔いはない別れをする事ができたのかなと…
「大丈夫だ…俺は生きる」と笑顔で去っていくアヤセは特に印象的でしたが、ユウリとの別れもまた切ないですね。竜也はユウリに告白し、きつく抱きしめ合います。ユウリの最後の言葉もまた良い。そう、決してバラバラになるのではなく竜也と変えた明日の延長線にユウリ達はいる。それがどんな未来かは分からないけどだからこそ彼らは「明日に向かって一生懸命に生きる」

そして別れから1年…ホナミはドモンの子供を産んでいました。ここは多分ターミネーターのオマージュかなと。テーマや世界観的にも似通っていますしね。ギンガマンの黒騎士の最期もどこかターミネーター2を連想とさせますし、小林靖子さんターミネーターシリーズのファンなのかなーと邪推。

ランニングをする竜也、「直人の分も一生懸命に生きる」と決意表明しました。いずれは浅見グループという運命にも向き合う事を決めます。ここで竜也を浅見会長の車が追い越す演出も良い…すれ違うのではなく追い越すというのがミソ。2人が同じ道を歩むという事を示しました。
ランニングしながらユウリ、アヤセ、ドモン、シオンのそっくりさんとすれ違います。そう、今と未来は繋がっていて、決して竜也たちは別れたわけじゃない。竜也が作る無限の明日の中に皆は生きている…
何かドラマとして美しすぎて言葉を失ってしまうのですが、何が良いってEDの「未来のゆくえ」もなのですが、何より2話で竜也が彼ら(未来人たち)に言った言葉

「未来は変えられなくたって、自分たちの明日くらい変えようぜ!」

この言葉がこの最終回で正に実現しているというのが素晴らしいのですよね。そう、未来は変わったかどうかは分からない…でも確かに彼らの明日は変わったという事をこの最終回はキチンと示してくれた。当時も今もやはり、特撮やアニメ含めこれを超える最終回は個人的には無いですね。

五星戦隊ダイレンジャー

シリーズ第17作目に位置する本作ですが、正直どう形容していいのか分かりません。まず良い点を述べると(私には合いませんでしたが)「歴代屈指のノリの良さ」で、具体的に述べていくと熱くて美しいOP、問答無用と言わんばかりの次々に畳み掛けてくるストーリー展開、気伝獣のデザインとカッコよさ、役者のアクションと演技などが挙げられます。
これらはどれも素晴らしい物が揃っていてあの陽気で小気味いいBGMと相まって非常に良い味を出していました。映像演出の出来栄えなら歴代でも五指に入る出来でした。

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そして何より斬新だったのは「明確に主役を設けない一人一人が主役の群像劇」という方式を取り入れたことです。5人それぞれにドラマを用意しそれをオムニバス方式で掘り下げていくというスタイルでした。しかもそれぞれのキャラに専門の脚本家が付くという徹底ぶりであった為、彼らのキャラクターは非常に濃いものとなりました。

ですが、この5人が主役という作劇はやはり一長一短でありそれぞれのキャラを掘り下げることに傾倒しすぎたせいで本筋の物語は歴代でも1、2を争うほどの支離滅裂ぶりでした。
これはさっきのオムニバス形式のストーリー展開とも関係していて、毎週 別々のキャラメインで話が進む為に例えば「コウが妖力に目覚め行方不明になっている」という展開にも関わらず5人は心配する素振りすらなく3バカとの草野球に興じていたりするのです。

そう、最大の問題点はこういった細かな物から大きな物までありとあらゆる整合性が取れていないせいで、せっかくの売りであるアクションやキャラクターの魅力が中途半端になってしまっているという事なのですよね。
神龍の登場もストーリーに関係なくいきなり出てきて「闘いをやめなければゴーマもダイレンジャーもぶっ潰す」という物凄い展開でした。正直ゴーマとの因縁絡みのドラマを上手く完結させられそうにないから超越的な存在を出して有耶無耶にしたようにしか見えませんでしたし。

後一歩でシャダムを倒せたのに肉弾戦に持ち込んで負けた道士はアホ過ぎて何も言えないですが…

最後に(あくまで個人的な)この作品の最大の欠点を述べておくと、やはりキャラクターの濃さを追求している割に主体性が薄いというのがやはり問題かなと…もう少し具体的に言うと「何故ダイレンジャーとして闘うのか」という根幹の部分が見えてこない、道士に言われたから戦っているだけに過ぎないという事です。
戦い始めたきっかけだって道士にスカウトされただけですし、それはまだ良くても終盤になっても人を救いたいという正義感が芽生えるわけでもなければ、自らが戦う理由を見出せてすらいない。
しかもダイレンジャーという組織自体がそもそもダオス文明の内輪揉め(ダイ族とゴーマ族の戦い)兵隊のような存在でしかない。つまりヒーロー活劇として満たすべき箇所を物の見事に外してしまっている訳ですね。
それにこの作品は熱いノリが売りとは言っても、あの支離滅裂ぶりを考えると とても寒々しい。瞬間最大風速の熱さでいっても、この作品以上のものは他にいくらでもあります。
キャラクターだって濃いとはいえど深みがある訳では無いですし、これではドラマどころかエンターテインメントとして見てもおよそ水準を満たせているとは思えない、よって最終評価は「駄作」となりました。

鳥人戦隊ジェットマン

この作品はそれまで「絶対正義に傾倒したヒーロー像」の否定と回帰を軸に語られた物語です。
何せ序盤からメンバーが揃わない不測の事態に見舞われ、偶然バードニックウェーブを浴びた正義感もない一般人達によって構成されているのですから。

唯一の正規メンバーである天童竜ですら死に別れた恋人リエのことになると使命を忘れ、私情に走ってしまう問題児揃いの戦隊で、序盤での団結はほぼ皆無に等しかったでしょう。

そういった彼らが一緒に闘っていくことで1つのチームとして纏まっていく「団結の物語」ジェットマンなのです。

チーム最大の問題児が結城 凱(ブラックコンドル)であり、「人間なんて滅びちまった方がいいんじゃねえか?」というヒーローあるまじき発言さえしてしまうのがこの男です。
この結城凱は所謂カッコつけの男で言うこともカッコよくダンディーでありながら、いざという時には情けない姿を晒してしまう弱い男なんですよ。
鹿鳴館 香(ホワイトスワン)に恋心を寄せていたのも、それは竜に対するライバル視、対抗心かたくるもので、いざ香と付き合うことになっても凱は価値観が合わずに自然消滅しています。
本当に子供のような彼ですが、それでも竜をライバル視するのは、何だかんだで彼の実力を認めているがゆえです。だから竜がリエのことで情けない姿を晒しているのが耐えられないのです。
普段はダメダメでもいざという時に決めるのがこの結城凱というキャラクターの魅力です。

さて、上記をみていると凱が主人公の様に思えてきますが、そうとも言い切れません。
ジェットマン「竜という人間の再生の物語」であり、恋人を失い、そこからバイラムとの闘いを通して仲間と団結し一人の人間として立ち直っていく様子を描いています。
思ってもチームがバラバラになる原因のほとんどは竜が原因で、仲間の事情も考えず一方的に正論を押し付けたり、リエのことになって戦意喪失するなど、凱とはまた違ったベクトルで「弱い人間」として描かれます。常に平常を装っているのは、自らの弱さをごまかしているに過ぎない。
終盤でリエが死に、悲しみに明け暮れラディゲへの復讐のためにジェットマンを脱退するなど最後までそれは変わらないのですが、香に「リエさんが好きだったのは地球を守る戦士としての竜だったはず」と説得され、ようやく振り切ったのです。
そのために皆が竜のために動き、ようやく全員揃ったところで劇中三回しか行われていない最後の個人名乗りとアタックを行い、ジェットマンが真の団結に至ったことを示す。
ジェットマンが個人名乗りも含めて行うのは、メンバーそれぞれの息がピッタリ揃ったときのみで、それがこの作品の最大の持ち味なのです。
ジェットマン最大の特筆点は正義だから勝てたのではなく「団結出来たから勝てた」という所であり、序盤はむしろバイラムの方が仲が良く、ジェットマンは本当にただの寄せ集め集団でしたが、後半に行くにつれジェットマンは団結していき、バイラムは仲の悪さ故に自滅崩壊して行きました。
こういった対比や工夫がジェットマン「団結の物語」と言われる所以であります
最終回の後日談、香との結婚式ではリエの幻影を見ても笑顔を向ける竜が描かれています。

最後にあの最終回の後日談について考察してみましょう。よく巷では「凱が死んだのは蛇足だ」という意見は目にしますが私はそうは思いません。
凱はひったくりに刺され、体を引き摺りながらも親友の結婚式に向かい、傷のことも言わずに祝福をします。死ぬかもしれないというのに、凱は満面の笑顔なのです。18話では死を前にし、「死にたくねえ!」と情けない姿を晒した凱が死を前にしても恐れていない。
この一年間で凱は「竜との友情」「仲間との絆」をという大切な物を手に入れ、何の悔いも無かったのではないでしょうか?だから笑顔だったのだと思います。
「人間なんて滅びちまった方が良い」とまで言っていた凱にできた大切な物が、彼らとの絆や友情だっと考えると非常に感慨深くなりますね。

一年かけて団結していきヒーローになるという図式、正義と悪を相対化したドラマはシリーズでも他にはタイムレンジャー位であり、タイムレンジャー「陽」とするなら今作は間違いなく「陰」
今見ると欠点も散見されますが、それでも流石の完成度であり井上敏樹脚本の頂点というに相応しい傑作です。

闘わなければ生き残れない「仮面ライダー龍騎」

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この作品は星獣戦隊ギンガマン「未来戦隊タイムレンジャー」に次いで小林靖子さんがメインライターを手掛けられた作品であり、それまでのライダー像の革新と絶対的正義の否定を軸に語られた物語です

この世界におけるライダーとはつまり、「自らの願いを叶える為に闘う者」であり、全員が自らの信念や正義に基づいて行動しています。
勿論立派な正義や信念を持った者もいれば、本当にしょうもない目的で動く者、自らの暴力的衝動に身を任せる者もいます。
何故、龍騎でこのような物語が志向されたのかは、タイムレンジャーからの流れという文脈で見ると非情に納得できます。何故ならタイムレンジャーの世界には「巨悪」が存在せず、敵組織はただの犯罪者集団です。つまり敵も味方も皆が自らの信念を持って自分の運命と戦っていて、そういった時間の流れや1000年の狭間の中で葛藤するのがタイムレンジャーという物語なのです。
唯一違うのは、タイムレンジャーには弱い人間がいないのに対して、龍騎には弱い人間が沢山います。
ここでいう「弱い」というのは、戦闘力とかそういうことではなく精神的な強さのことです。タイムレンジャーの登場人物は若者や大人、犯罪者みなが芯の強い正義を持ち、「生への渇望」「力への執着」といったものに対して、皆が「自分達の明日を変える」ために行動していました。利己的な目的でも、そこには個人の人生を揺るがすだけの物があり、それに対して全員が強い信念を持って行動していたのです。
対して龍騎は本当にしょうもない弱い人間が登場します。「英雄になりたい」東條(タイガ)や「金持ちになりたい」佐野(インペラー)、「ゲーム感覚で自らが楽しむ為に闘う」芝浦(ガイ)はその典型とも言えます。本当に浅ましく利己的な目的ですが、それが逆にこの作品のリアルさに繋がっているのです。彼らは結局他の強い正義を持つライダー達に淘汰されていくのです。それが龍騎という物語が現代社会の投影たる所以とも言えます。
人間なら誰しもが持っている欲望を叶える覚悟を持った者こそが、この世界における「ライダー」なのです。
仮面ライダー龍騎SPでベルデが言った「人間は皆、ライダーなんだよ‼」という台詞も要は、仮面ライダーがやっている争いは、人間社会を投影させたものに過ぎず、誰かがミラーワールドを閉じても、また誰かが争うためにミラーワールドを起こすのが人間の本質であるということなのです。

そういった利己的な目的で動くライダー達のなかで、人を守る、闘いを止めるという正義感と信念に基づいて闘うのが主人公の仮面ライダー龍騎こと城戸真司、彼はライダー達が持つ背景や信念を知って、闘いを止めるべきか、止めるべきでないかと葛藤するのです。「闘いは止めたいが、それが本当に正しいことなのか?」、そうやって選択を迫られながら悩み続けて、最終的に自らも「ライダー達の闘いを止めたい」という願いを見つけて死んでゆきます。

龍騎という作品の中では殆どが人間としての「ライダー」です。ですが、最後まで人を守る、ライダー達の闘いを止めるために闘った城戸真司だけはヒーローとしての「仮面ライダーだったと言えます。

「それぞれの信念に基づいた正義どうしの闘い」というタイムレンジャーから継承した要素を発展させ仮面ライダーを一度否定することで、新たな視点で仮面ライダーを肯定する」という趣旨で作られた不朽の名作、それがこの「仮面ライダー龍騎」という作品です。

真っ当なヒーローを描くのが得意な小林靖子氏、ヒーローに対するアンチテーゼが得意な井上敏樹氏の2人だからこそ手掛けられた逸品です。

「この世界の片隅に」感想

いやあ素晴らしい作品でした。

こういう所謂「戦争モノ」の映画って戦争の悲惨さを伝えるために、やたらと暗さを全面に押し出すのが多くて、それもあってグッと乗っていけないイメージだったんですが、この作品は見事にそれを払拭させたと言えるでしょう。


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この映画の趣旨って「戦争」を描くことではなく、「戦争下の日常」を描くのが目的だったんだろうと思います。
思想や政治といった「大きな世界」が変革して動いていっても、すずちゃん達の生きる日常である「小さな世界」は変わらない。
綿密な風景描写による敗戦前の色彩と敗戦後の焦土により伝わる戦争の重さ、そして敗戦を一番悔しがったのはそれまで必死に懸命に頑張ってきたすずちゃんであるということ…
必死に頑張ってきたからこそ、最終的に報われなかったことを嘆いているのです。
こういった現実の非情さが「戦争の不条理」を象徴しています。

主人公のすずちゃんは本当に健気な普通の女の子で、見知らぬところに嫁入りになっても、一生懸命に頑張り、そこで愛を育んでいくといった「当時の女性」そのものなんですよ

絵を描くことが好きで不発弾により右手を失って、絵が描けなくなったとき、挫けそうになっても自分の今いる日常がどれだけ幸せなものであるかに気付き立ち直る訳です。

健気で底抜けに明るいからこそ、苦悩にも重みが生まれるし、日常の幸せや得られたものの温かさを自覚し立ち直っていく姿は、本当に儚く健気で泣けてきます。

ラストでは行き場を失った男の子に懐かれ、子供のいなかった夫婦の養子として迎え、三世代揃って一家団欒する様子が描かれ、この作品は幕を閉じます。

「現実と虚構」「喪失と創造」といったテーマと丹念に描き、失ったものの悲痛さを得たものの大切をもって乗り越える前向きさに勇気を貰えました。



たこの作品は作画による映像美が素晴らしかったです。砂糖の配給が少なくなると人間が嘆いている横で、カブトムシが蜜を吸っている描写も皮肉が効いていて、そういった細かなフォローがこの作品を傑作たらしめています。
様々な世代に向けてお薦めの出来る素晴らしい作品でした。

「二度目の夏、二度と会えない君」感想

先日書店で気になって買って読んでみましたので感想を


何というかこの作品の倫理観が受け入れられませんでした。

簡単な内容説明

主人公(智)が不治の病のヒロイン(憐)に最後言ってはいけないことを言ってしまいヒロインは結局、幸せに死ぬことが出来ず、憐が智に遺した遺書には「ごめんなさい」とだけ書かれていた。
智は激しく後悔し数ヶ月引きこもりの状態となってしまう。
ある時出掛けた智は憐の歌声が聞こえたような気がして、声が聞こえる方に足を踏み出し滑らせ、転がり落ちてしまう。
意識が遠のき、目を覚ますと目の前には、死んだ筈の憐がいた。


はい、んで智は最後、憐に何を語りかけたのか?
次はそこを引用して説明しましょう。

「あたし、智君に、みんなに会えてよかったよ。たった3カ月だったけれど、一生分楽しかった。ねえ、智君。これね、最後のわがままなんだけど… バンド、続けて。前を向いて頑張って。そうしてくれると、あたしは嬉しい」

智(無理だ。燐の代わりなんて見つからない)

いろんな考えが頭をよぎり、混乱した智はたった一つの気持ちを燐に伝えた。

智「俺は、お前が好きだよ…ずっと好きだった。ずっと一緒にいたいと思ってた。だから…」

智は言葉に詰まって燐の顔を見上げる。すると…

泣き出しそうな燐の顔には、はっきりとした非難の表情が張り付いていた。

燐「なんで、そんなこと言うの…私は、君やみんなのこと仲間として大切に思っていて…そんなこと言われても迷惑だし…なんでこんなこと私に言わせるの!」

燐「出てってよ」

燐の声は恐ろしいほどに低かった。

智「ごめん、燐。燐がそんなに嫌がるなんて…」

燐「出てって!」

智は逃げるようにして家に帰った。
世の中には伝えてはいけない気持ちもあるのだ…


えーと…何の冗談ですかね?
まず状況として、智くんは憐のことが好きで、だからこそその気持ちを憐に決死の覚悟で伝えたわけですよね?

憐にはもう余命が残されていないから、せめて自分の気持ちを伝えておきたかったから…

なのにまるで智の告白が大罪であるかのような追いつめ方は何なんでしょうか?
「世の中には伝えてはいけない気持ちもあるのだ」という文章もちゃんちゃらおかしいです。恋愛感情なんて普通は誰でも抱くものであり、それを告白するのは人間が当たり前として行うことなんですよ。
これじゃあまるで「人を好きになることは罪」って言ってるようなもんじゃないですか。

100歩譲って智の告白に非があったにせよ、普通はそれを優しく包み込んであげるのが一番良いんですよ。
人が死んで辛いのは本人だけではなくその周辺の人たちも例外ではないのです。
いくら告白が不本意だったとは言えど自分の悲しみを露にして他人まで悲しくさせるってのは不味いんじゃないですか?

それに憐が智の告白を激しく拒否した理由って「自分は仲間として好きだったのに、智が自分に恋愛感情を抱いているのが嫌だった」という凄く身勝手な理由で全く感情移入出来ません。

何より最大の問題は、これらの描写が全てヒロイン視点でしか作られておらず、主人公の気持ちが一切考慮されていないことです

「世の中には伝えてはいけない気持ちもある」をテーマとして据えたいなら一人の視点ではなく、もっと広い視野をもって作劇に取り組むべきでしょう。ヒロインの悲哀を表現するために主人公が理不尽に追い詰められる正に「木を見て森を見ず」状態。

まぁこんなちゃんちゃらおかしい展開から物語が舵を切ってしまった為にその後の展開もイマイチ乗りにくい。
過去に戻った智は「好きだという気持ちを伝えない」為に行動するんですが、そもそもこんな後ろ向きな目的のために動かれても何だかなぁという気はしますし、何より智君は何も悪くないですからね。
物語が全ての罪を智君に着せた状態で物語は進んでいくのでやはり引っ掛かりがあります。

あとはやっぱり憐の描写ですね。過去に戻った状態から憐は本格的に掘り下げられるので「告白されて理不尽に激昂した憐」を既に見てしまった状態では、彼女の明るさはイマイチ響くものにはなりませんでした。
あとその描写を見ても憐は明らかに智に好意を持ってて、「じゃあ何であの時あんなに怒ったんだよ!」と突っ込んでしまいました。

これは「作者が意図してやっていること」なのか「ただ単にそこら辺何も考えずに書いた」のかはさだかではありませんが、ただひとつ言えるのは「人物描写が致命的に下手糞」ってことですかね

ラストは智くんは「好きだという気持ちを伝えない」というやったことは物凄く後ろ向きであるにも関わらず、作品が妙に前向きかのように物語を締め括ってしまった為に上手く纏まらなかった気もしますし…

智は好きだという気持ちを憐に伝えず、憐はそのまま幸せに死んで、最初は「ごめんなさい」と書かれていた遺書が「私もきっと智くんと同じ気持ちだったよ」という言葉に変わっていたという前向きに見せ掛け実際は妙にしみったれたラストでお茶を濁された感じは否めません。

正直、あの遺書でますます憐というキャラが何だったのか分からなくなりました。

憐は智を仲間として好きだったのか異性として好きだったのかは分からないというオチは演出として狙ったんでしょうが、それにしてはキャラクターがブレすぎましたね。

結局こんな本末転倒かつ支離滅裂な物語になるくらいだったら「憐に結局最期まで伝えられなかった気持ちを伝えに過去に戻り、そこから好きだという気持ちを少しずつ深めて最後に告白し憐は笑顔で死ぬ」という物語にした方がベタながらも王道で感動できた気がします。

取り敢えず今度から本を買うときはこんな地雷は二度と踏みたくないものです