Time and Space

小林靖子脚本と時間SF作品を敬愛する者

未来戦隊タイムレンジャー

(2000年2月13日~2001年2月11日放送 全51CASE FILES)

「明日を変える為に生きる人間たちと正義や善悪の本質」

さて、このスーパー戦隊シリーズ24作目である未来戦隊タイムレンジャーですが、前々作の星獣戦隊ギンガマン「星を守る」、前作の救急戦隊ゴーゴーファイブ「人の命を救う」というテーマを掲げた王道の正統派ヒーロードラマであったのに対して、今作は「明日を変える」というキーワードを通して大人社会における複雑な正義や善悪を描いた作品でした。
メインライターである小林靖子さんの「運命を変えるために生きる若者」という作家性が凝集された作品だと言えるでしょう。
一年間を通して敵を倒すことなく犯罪者を逮捕し続けたという点やラスボスは意志を持った存在ではなくあくまで「大消滅」という災害であるという点を含め、90年代前半のメタルヒーローシリーズをスーパー戦隊のフォーマットに落とし込んだのがこのタイムレンジャーとも言え、そしてそういった世界観にしたからこそ、登場人物の葛藤や「生と死」「大きな歴史とその中にある個人の明日」という壮大なテーマにクローズアップして描くことが出来たと言える訳です。
5人それぞれにドラマが設けられ、それが終盤に向けてひとつひとつ結実していき、最終的にひとつの「明日を変える」物語に集約される構成は歴代でもタイムレンジャーくらいです。「等身大のキャラクタードラマと壮大で抽象的なテーマ性の融和」、これをやらせたら小林靖子さんの右に出る者はいないと思いましたね。
また竜也や直人、アヤセやリュウヤ隊長を通して「生と死」「勝者と敗者」というテーマに真摯に向き合っていましたね。大事なのは如何に私的な行動でも「公」を大事にするかという視点を忘れない事で、未来人4人は竜也の為にという私情で動いてこそいるけど、そこには竜也のいる時代やそこにいる人々の命を犠牲にできないという想いがあった。そして逆に直人やリュウヤ隊長は「公」の為に動けなかったからこそ命を落としたという見方ができ、そこがタイムレンジャーの対比の存在として描かれていました。

そして最後に竜也が自分の運命と向き合い直人や父親と互いの生き方を認め合うことが出来たというラストも良かったですね。だいたいこういう作品では相手を一方的に悪のように扱うことが多いのに、そうではなく互いの立場を尊重して相互理解に至れたのは「人間は少しずつ変われるし分かり合える」というメッセージだったのだと思います。また一方でそうやって段階を踏んで話し合っていかないと「人間そう簡単に変われるものではない」という事も裏テーマとしてあったように思います。

何より物語に巨悪と呼べる人物がおらず、誰しもが日常に生きる普遍的な人々だったというが良かった。だからこそそんな彼らが抗えなかった運命の残酷さも際立つのですが、運命に勝てたかどうかの明暗を分けたのが「人柄や振る舞い」「仲間の力」であったというのは秀逸。「勧善懲悪の否定の先は個々の人々が信じる正義である」という事を描き、今作は全員が根は何も変わらない普通の人間たちであるからこそ「正義も悪も立場が決めるものではなく心と行動が決めるものである」という事を作劇として示せたのではないでしょうか。
そして千年の狭間から生まれる歴史という抗いようのない大きな物語、個人の悩みや日常といった「小さな物語」が融和した「大きな歴史とその中にある個人の明日」という構図があるお陰で彼らの物語に壮大なスケールや骨太なドラマ性が宿っていたのだと思います。

そしてこの作品最大の美点である各登場人物の深みある造形…本当に一人ひとりのキャラクターの心理描写が丁寧かつリアルだった。まず触れるなら主人公である浅見竜也のキャラクター造形。彼が「明日を変える」というメインテーマの体現者でした。未来に行き詰まっていた未来人たちに「明日を変える」という方向性を与えたのは彼であり、父親や因縁の相手に現実を突き続けられても「明日を変える」ことを信じ続けて戦う。一見すると「私」の側面だけをクローズアップしたようなキャラクターですが、最終的にそれが「21世紀を救う」という「公」の目的へと繋がり、CaseFile49「千年を越えて」のラストシーンを持って現代人の竜也と未来人たちが真のチームとして団結するという脚本は、普遍的な人々やその運命を描くヒューマンドラマとスーパー戦隊というヒーロードラマの擦り合わせに最も成功した例では無いでしょうか。そしてそんな竜也の魅力をいっそう引き立てるキャラクターとなってくれたのが滝沢直人でした。「力から逃げる」竜也とは対照的に「力を追い求める」人物像として描かれていて、一見すると竜也に厳しい現実ばかりを言ってくる嫌味なキャラクターであるものの、実は「力に恵まれなかった」という、ある意味では視聴者に最も近い立場の人物でした。そんな彼が迎えた最期は、力を求め急ぎ過ぎてしまったが故のものという悲惨なものであり、竜也に「お前は、変えてみせろ」と言い残して死んでいくシーンには凄まじい悲劇のカタルシスがありました
キャラクタードラマの秀逸さ、完成度にかけては随一であると断言できます。先程述べたように5人それぞれに戦う動機となるドラマが設けられ、行動原理が皆、一貫して「明日を変える」事であったことなどキャラ造形が物語ときっちりリンクしていて、シリアス、コメディ、日常シーンを大事にして積み重ね、重要な見せ場ではしっかりと盛り上げてきました。 そんなキャラクターの物語を根幹から支えてくれたのが「生活感のある日常描写」でした。5人一緒に生活しているという設定もあり、皆で食事やバーベキューをしたり、TRとして仕事をしたり、買い出しに行く様子なども描かれていました。「ヒーローの日常」というのは意外にも描かれないことが多いのですが、スーパー戦隊ではギンガマン辺りからこういう描写にも気を使っている印象があります。そしてその「ヒーローの日常」の描写は「ヒーローの中に人間を描く」ことを強く押し出す今作だからこそ大きな意味を持つ。ああいう日常シーンがあったからこそ、自分のために戦っていた彼らが21世紀とそこにいる人々を守りたいと思うことに大きな説得力とカタルシスが生まれる訳です。鳥人戦隊ジェットマン「ヒーローの中に人間を描く」というアプローチで人間関係の変化や機微を丁寧に描いていましたが、こういった個々の生活描写までは踏み込んでいませんでした。
だからこそ「等身大のリアルなヒーロー像」を描いたという意味では、あらゆるヒーロー活劇の中でも今作は間違いなく最高峰でした

ラスボスという明確な存在がいないというのも大きな特徴でした。終盤に彼らが立ち向かう大消滅は、言ってしまえば災害であり明確な意思を持つ敵ではありません。そういう大消滅という災害、つまり「世界の運命」のもとで各キャラクターのドラマである「個人の運命」が収束し結実していく様が終盤の見所であり、本当にあそこはスーパー戦隊シリーズでも屈指の名編と言えるでしょう。一年間の構成で見てもこの展開は納得で、それまで「自分の運命」と闘ってきたタイムレンジャーの最後の敵は、大消滅という「世界の運命」であるというのは秀逸です。こうやって分解していくとタイムレンジャーは正に「明日を変えようとする人間たち」「運命と戦うヒーロー」である事が分かり、また時間SFである事を活かし「運命」「未来」と言い換えて、そこに重みを持たせているのも巧い。

最後に欠点を述べると「SF設定の破綻が多い」「アクションがやや地味」等でしょうか。様々な疑問や謎が残りましたし、特撮シーンの出来は確かに凡庸です。物語としての欠点も「シオンのドラマがあまり本筋に絡まない」というものが残り、これは残念でした。ですがそれを差し引いても数多くの美点が残り素晴らしい作品である事は間違いありません。

そしてこの作品のテーマであり、キャラクターの根幹ともなった「明日を変える」。それを愚直なまでに徹底して一貫し、最後に「未来は変わったか分からないけど自分たちの明日は変わった」という秀逸なラストを見せたことこそが今作を名作たらしめる理由なのだと思います。


正に小林靖子脚本の頂点にしてスーパー戦隊「最高傑作」でした。

未来戦隊タイムレンジャー CaseFile50「無限の明日へ」

CaseFile50「無限の明日へ」

(脚本:小林靖子 監督:坂本太郎
まだ全話書く余裕は無いのですが、この最終回は思い入れが強いので感想を書こうかなと


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前半、過去に戻ろうとするアヤセ達とそれを止めるリュウヤ隊長の構図。そしてアヤセとリュウヤ隊長の絡みで浮かび上がってきた衝撃の事実…「竜也たちとリュウヤ隊長の行動原理が同じである」ということですね。それまで「明日を変える」ために動いてきたタイムレンジャー5人とリュウヤ隊長は本質的には同じでした。

リュウヤ「自分の死を知ったら…それを変えられる手段があったら、誰だってそうする。そうだろ?」

アヤセ「あんたも明日を変えたくて…」

そして息絶えるリュウヤ隊長ですが、このシーンでアヤセとリュウヤの対比構造が浮かび上がるという見事な構成。
アヤセもオシリス症候群という病を抱え、現実というものに消極的でした。そんな時に竜也の「明日を変えようぜ」という言葉に救われたのですよね。自分にももしかしたら生きる可能性、自らの居場所(=タイムレンジャー)があるかもしれないと
でもそれはリュウヤ隊長も同じでした。彼も自らの死の運命を知った事で躍起になってそれを変えようとしたのですね。
でも運命は残酷であり、アヤセは生きる可能性を残されましたが、リュウヤ隊長は結局 死の運命に落ちてしまいました。

彼らの運命を分けたのは結局「自らの人柄」と「仲間の力」だった訳です。そう、直人が死んだ理由だって本質的にはリュウヤ隊長と同じ。直人やリュウヤは「明日を変える」という目的はタイムレンジャーと同じでもその視野には自分達しか見えていなかった。自らの運命を変えるために他人を蹴落としてしまったのですよね。そこがタイムレンジャーとの最大の違いで竜也たちは「明日を変える」ために動いても、周りの人達を助けるという事を決して忘れなかった。そういった彼らの優しさが自然と仲間を惹き付け、直人やリュウヤ隊長は自然と孤独になった。
これまで「明日を変える」という極めて個人的な目的のもとに戦ってきたタイムレンジャーですが、やはり最終的には真っ当なヒーローらしい結論となりました。
「明日を変える」ために戦う痛みを抱えた若者たち。そう、痛みを知っているからこそ他人の痛みが理解できる。だからこそタイムレンジャーは他人のためにも戦えるのですよね。逆に直人やリュウヤ隊長は同じ痛みを抱えた者でも結局は自己を優先してしまった。

こうしてリュウヤ隊長の死を見届けた未来人たち…非常にやるせない気持ちを感じながらもタックの言葉に励まされ21世紀に戻ることを改めて決意。
ここ…客観的に見ればアヤセ達のやってることは「歴史を変えるという反逆行為」なんですよね。本当ならば21世紀に大消滅が起きるというのが正しい歴史であり、それを変えようとする訳なので…でもそんなの関係ない。21世紀には彼らの積み重なった想い出がある、そして自分たちがかつて竜也の言葉に救われたように、今度は自分たちが竜也のいる世界を救いたい…そういう純粋な想いが彼らを突き動かします。
タックの「君達の選択は間違ってるかもしれない…でも僕は信じる。君達が自分で選んだ明日を…そこでまた会おう!」という言葉もグッときます。そう、正しい歴史や決められた歴史はなく選択肢の数だけ「明日や未来は無限に広がっている」タイムレンジャーは自分たちで未来を選びました。

そして21世紀…
ここからは涙腺崩壊不可避の名シーンが続きます。
大消滅が襲い、そして大量のゼニット…正に世紀末を感じさせる絶望感で竜也も諦めかけます…凄まじい緊張感です。そこに未来から戻ってきたタイムジェット!乗っていたのは自分が送り返したはずの未来人4人。
ここはヤバいです。遂に彼らが「21世紀を救い、明日を変える」という道に交じりあいました。
そしてユウリの「竜也、新しい道が見つかるって言ったわよね?私は…この道を選んだの」という言葉、48話で竜也が言った「ユウリ、新しい道が見つかるよ…きっと」という言葉に対する返答と取れます。
勿論、彼らを案じて未来に送り返した竜也の行為は無駄になりましたが、やはり竜也は複雑ではありながらも嬉しかったのではないかなと。良い未来があったかもしれないのに、それ以上に自分の世界(21世紀)を救うことを優先してくれた。それほどまでに彼らの絆が強固であったことを示す素晴らしい名場面。

大消滅を止める作戦会議…DVディフェンダーが必要と言うシオン。竜也はVコマンダーを差し出すことで4人が知らなかった「直人の死」を知らせました。これは秀逸だな~と感心。
避難者の中にいたホナミ…遂にドモンはホナミと再会、思いを確かめ合い、遂に決戦の時がやってきました。
絵面は見辛いですが、それでも素晴らしい盛り上がりですね。本当にこれまでの積み重ねが終盤になるにつれて結実していきます…そしてこの巨大戦で特筆すべきはで直人がやって失敗した事が竜也がやって成功したという事です。本当に2人は「勝者と敗者」、交わらない関係にあるのだなと…
でもやはり竜也が成功できたのは「仲間の力」のお陰。みんなが必死に頑張ってくれたからは成功できたわけです。2人の人柄の違いが仲間の有無を左右し、それが最終的に彼らの運命を決めたわけですね。
そして大消滅を止めることに成功した竜也と4人、遂に別れの時です。本当なら別れたくはない、でも世界はそれを許さないのですよね。でも彼らはやれるだけの事をやりきり、思い残す事はもう無い。だからこそ悲しくても悔いはない別れをする事ができたのかなと…
「大丈夫だ…俺は生きる」と笑顔で去っていくアヤセは特に印象的でしたが、ユウリとの別れもまた切ないですね。竜也はユウリに告白し、きつく抱きしめ合います。ユウリの最後の言葉もまた良い。そう、決してバラバラになるのではなく竜也と変えた明日の延長線にユウリ達はいる。それがどんな未来かは分からないけどだからこそ彼らは「明日に向かって一生懸命に生きる」

そして別れから1年…ホナミはドモンの子供を産んでいました。ここは多分ターミネーターのオマージュかなと。テーマや世界観的にも似通っていますしね。ギンガマンの黒騎士の最期もどこかターミネーター2を連想とさせますし、小林靖子さんターミネーターシリーズのファンなのかなーと邪推。

ここでかかる「未来のゆくえ」が神すぎる。竜也は「直人の分も一生懸命に生きる」と決意表明しました。いずれは浅見グループという運命にも向き合う事を決めます。ここで竜也を浅見会長の車が追い越す演出も良い…すれ違うのではなく追い越すというのがミソ。2人が同じ道を歩むという事を示しました。
ランニングしながらユウリ、アヤセ、ドモン、シオンのそっくりさんとすれ違います。そう、今と未来は繋がっていて、決して竜也たちは別れたわけじゃない。竜也が作る無限の明日の中に皆は生きている…
結局のところ31世紀がどうなったかなんて分からないし、竜也だって自分の未来である浅見グループ次期会長という運命は変えられてない。だけどその未来に対する受け止め方は変えられた。「未来や明日を変えるというのは即ち自分や行動を変えることである」というのが今作の結論だったのかな。竜也は直人に指摘される事でようやく変われ、直人は死を前にする事でようやく変われた事も「人間そう簡単に変われない」という見方もできますが
何かドラマとして美しすぎて言葉を失ってしまうのですが、何が良いって2話で竜也が未来人たちに言った「未来は変えられなくたって、自分たちの明日くらい変えようぜ!」という言葉の通り「未来は変わったか分からないけど自分たちの明日は確かに変わった」という事を実感させてくれた事ですね。このEDをもって未来人や現代人たちが紡いできたドラマや「明日を変える」というテーマが「浅見竜也の物語」に集約されて完結するという構造になってるんですね。このEDのカタルシスは本当に凄まじいですね。改めて素晴らしい作品だと実感できる最終回でした。


http://10932bwf.hatenablog.com/entry/timeranger/critique

鳥人戦隊ジェットマン

(1991年2月15日~1992年2月14日放送 全51話)

スーパー戦隊シリーズ第15作目となる鳥人戦隊ジェットマンはそれまでの伝統であった「絶対正義に傾倒したヒーロー像」の否定と回帰を軸に語られた物語です。
何せ序盤からメンバーが揃わない不測の事態に見舞われ、偶然バードニックウェーブを浴びた正義感もない一般人達によって構成されているのですから。

唯一の正規メンバーである天童竜ですら死に別れた恋人リエのことになると使命を忘れ、私情に走ってしまう問題児揃いの戦隊で、序盤での団結はほぼ皆無に等しかったでしょう。

そういった彼らが一緒に闘っていくことで1つのチームとして纏まっていく「団結の物語」ジェットマンなのです。

チーム最大の問題児が結城 凱(ブラックコンドル)であり、「人間なんて滅びちまった方がいいんじゃねえか?」というヒーローあるまじき発言さえしてしまうのがこの男です。
この結城凱は所謂カッコつけの男で言うこともカッコよくダンディーでありながら、いざという時には情けない姿を晒してしまう弱い男なんですよ。
鹿鳴館 香(ホワイトスワン)に恋心を寄せていたのも、それは竜に対するライバル視、対抗心かたくるもので、いざ香と付き合うことになっても凱は価値観が合わずに自然消滅しています。
本当に子供のような彼ですが、それでも竜をライバル視するのは、何だかんだで彼の実力を認めているがゆえです。だから竜がリエのことで情けない姿を晒しているのが耐えられないのです。
普段はダメダメでもいざという時に決めるのがこの結城凱というキャラクターの魅力です。

さて、上記をみていると凱が主人公の様に思えてきますが、そうとも言い切れません。
ジェットマン「竜という人間の再生の物語」であり、恋人を失い、そこからバイラムとの闘いを通して仲間と団結し一人の人間として立ち直っていく様子を描いています。
思ってもチームがバラバラになる原因のほとんどは竜が原因で、仲間の事情も考えず一方的に正論を押し付けたり、リエのことになって戦意喪失するなど、凱とはまた違ったベクトルで「弱い人間」として描かれます。常に平常を装っているのは、自らの弱さをごまかしているに過ぎない。
終盤でリエが死に、悲しみに明け暮れラディゲへの復讐のためにジェットマンを脱退するなど最後までそれは変わらないのですが、香に「リエさんが好きだったのは地球を守る戦士としての竜だったはず」と説得され、ようやく振り切ったのです。
そのために皆が竜のために動き、ようやく全員揃ったところで劇中三回しか行われていない最後の個人名乗りとアタックを行い、ジェットマンが真の団結に至ったことを示す。
ジェットマンが個人名乗りも含めて行うのは、メンバーそれぞれの息がピッタリ揃ったときのみで、それがこの作品の最大の持ち味なのです。
ジェットマン最大の特筆点は正義だから勝てたのではなく「団結出来たから勝てた」という所であり、序盤はむしろバイラムの方が仲が良く、ジェットマンは本当にただの寄せ集め集団でしたが、後半に行くにつれジェットマンは団結していき、バイラムは仲の悪さ故に自滅崩壊して行きました。
こういった対比や工夫がジェットマン「団結の物語」と言われる所以であります
最終回の後日談、香との結婚式ではリエの幻影を見ても笑顔を向ける竜が描かれています。

最後にあの最終回の後日談について考察してみましょう。よく巷では「凱が死んだのは蛇足だ」という意見は目にしますが私はそうは思いません。
凱はひったくりに刺され、体を引き摺りながらも親友の結婚式に向かい、傷のことも言わずに祝福をします。死ぬかもしれないというのに、凱は満面の笑顔なのです。18話では死を前にし、「死にたくねえ!」と情けない姿を晒した凱が死を前にしても恐れていない。
この一年間で凱は「竜との友情」「仲間との絆」という大切な物を手に入れ、何の悔いも無かったのではないでしょうか?だから悔いの無さそうな笑顔だったのだと思います。
「人間なんて滅びちまった方が良い」とまで言っていた凱にできた大切な物が、彼らとの絆や友情だっと考えると非常に感慨深くなりますね。

今見ると欠点も散見されますが、それでも流石の完成度であり井上敏樹脚本の頂点に立つ「傑作」であったと思います。

「二度目の夏、二度と会えない君」感想

先日書店で気になって買って読んでみましたので感想を


何というかこの作品の倫理観が受け入れられませんでした。

簡単な内容説明

主人公(智)が不治の病のヒロイン(憐)に最後言ってはいけないことを言ってしまいヒロインは結局、幸せに死ぬことが出来ず、憐が智に遺した遺書には「ごめんなさい」とだけ書かれていた。
智は激しく後悔し数ヶ月引きこもりの状態となってしまう。
ある時出掛けた智は憐の歌声が聞こえたような気がして、声が聞こえる方に足を踏み出し滑らせ、転がり落ちてしまう。
意識が遠のき、目を覚ますと目の前には、死んだ筈の憐がいた。


はい、んで智は最後、憐に何を語りかけたのか?
次はそこを引用して説明しましょう。

「あたし、智君に、みんなに会えてよかったよ。たった3カ月だったけれど、一生分楽しかった。ねえ、智君。これね、最後のわがままなんだけど… バンド、続けて。前を向いて頑張って。そうしてくれると、あたしは嬉しい」

智(無理だ。燐の代わりなんて見つからない)

いろんな考えが頭をよぎり、混乱した智はたった一つの気持ちを燐に伝えた。

智「俺は、お前が好きだよ…ずっと好きだった。ずっと一緒にいたいと思ってた。だから…」

智は言葉に詰まって燐の顔を見上げる。すると…

泣き出しそうな燐の顔には、はっきりとした非難の表情が張り付いていた。

燐「なんで、そんなこと言うの…私は、君やみんなのこと仲間として大切に思っていて…そんなこと言われても迷惑だし…なんでこんなこと私に言わせるの!」

燐「出てってよ」

燐の声は恐ろしいほどに低かった。

智「ごめん、燐。燐がそんなに嫌がるなんて…」

燐「出てって!」

智は逃げるようにして家に帰った。
世の中には伝えてはいけない気持ちもあるのだ…


えーと…何の冗談ですかね?
まず状況として、智くんは憐のことが好きで、だからこそその気持ちを憐に決死の覚悟で伝えたわけですよね?

憐にはもう余命が残されていないから、せめて自分の気持ちを伝えておきたかったから…

なのにまるで智の告白が大罪であるかのような追いつめ方は何なんでしょうか?
「世の中には伝えてはいけない気持ちもあるのだ」という文章もちゃんちゃらおかしいです。恋愛感情なんて普通は誰でも抱くものであり、それを告白するのは人間が当たり前として行うことなんですよ。
これじゃあまるで「人を好きになることは罪」って言ってるようなもんじゃないですか。

100歩譲って智の告白に非があったにせよ、普通はそれを優しく包み込んであげるのが一番良いんですよ。
人が死んで辛いのは本人だけではなくその周辺の人たちも例外ではないのです。
いくら告白が不本意だったとは言えど自分の悲しみを露にして他人まで悲しくさせるってのは不味いんじゃないですか?

それに憐が智の告白を激しく拒否した理由って「自分は仲間として好きだったのに、智が自分に恋愛感情を抱いているのが嫌だった」という凄く身勝手な理由で全く感情移入出来ません。

何より最大の問題は、これらの描写が全てヒロイン視点でしか作られておらず、主人公の気持ちが一切考慮されていないことです

「世の中には伝えてはいけない気持ちもある」をテーマとして据えたいなら一人の視点ではなく、もっと広い視野をもって作劇に取り組むべきでしょう。ヒロインの悲哀を表現するために主人公が理不尽に追い詰められる正に「木を見て森を見ず」状態。

まぁこんなちゃんちゃらおかしい展開から物語が舵を切ってしまった為にその後の展開もイマイチ乗りにくい。
過去に戻った智は「好きだという気持ちを伝えない」為に行動するんですが、そもそもこんな後ろ向きな目的のために動かれても何だかなぁという気はしますし、何より智君は何も悪くないですからね。
物語が全ての罪を智君に着せた状態で物語は進んでいくのでやはり引っ掛かりがあります。

あとはやっぱり憐の描写ですね。過去に戻った状態から憐は本格的に掘り下げられるので「告白されて理不尽に激昂した憐」を既に見てしまった状態では、彼女の明るさはイマイチ響くものにはなりませんでした。
あとその描写を見ても憐は明らかに智に好意を持ってて、「じゃあ何であの時あんなに怒ったんだよ!」と突っ込んでしまいました。

これは「作者が意図してやっていること」なのか「ただ単にそこら辺何も考えずに書いた」のかはさだかではありませんが、ただひとつ言えるのは「人物描写が致命的に下手糞」ってことですかね

ラストは智くんは「好きだという気持ちを伝えない」というやったことは物凄く後ろ向きであるにも関わらず、作品が妙に前向きかのように物語を締め括ってしまった為に上手く纏まらなかった気もしますし…

智は好きだという気持ちを憐に伝えず、憐はそのまま幸せに死んで、最初は「ごめんなさい」と書かれていた遺書が「私もきっと智くんと同じ気持ちだったよ」という言葉に変わっていたという前向きに見せ掛け実際は妙にしみったれたラストでお茶を濁された感じは否めません。

正直、あの遺書でますます憐というキャラが何だったのか分からなくなりました。

憐は智を仲間として好きだったのか異性として好きだったのかは分からないというオチは演出として狙ったんでしょうが、それにしてはキャラクターがブレすぎましたね。

結局こんな本末転倒かつ支離滅裂な物語になるくらいだったら「憐に結局最期まで伝えられなかった気持ちを伝えに過去に戻り、そこから好きだという気持ちを少しずつ深めて最後に告白し憐は笑顔で死ぬ」という物語にした方がベタながらも王道で感動できた気がします。

取り敢えず今度から本を買うときはこんな地雷は二度と踏みたくないものです

未来戦隊タイムレンジャー CaseFile1「時の反逆者」

(脚本:小林靖子 監督:諸田敏)
まず西暦3000年から始まり世界観説明がなされる意欲的な構成。この1話の時点でキャラクターの描きわけがしっかりと出来ていて脚本家である小林靖子さんの力量が伺えるのですが、この第1話最大のポイントは「見ず知らずの5人」であるということ。ナンパをするお調子者のドモン、それを軽くあしらう気が強いユウリ、そんなドモンをからかう皮肉屋のアヤセ、ドモンにサインを求める人懐っこいシオンとパッと見ただけでキャラクターの特徴や性格が把握できるような構造になっています。タイムレンジャーは抱えているテーマは複雑ですが見せ方が上手いので非常に分かりやすく頭に入ってくるのが良いです
描写も念入りで、ロンダー刑務所からドルネロ脱走→リュウヤ隊長に扮したリラが適当にメンバー4人を選ぶ→20世紀に着いた所でリラが時間飛行体ごと爆破→気絶した4人を主人公の竜也が見つけるという流れになっている訳ですね


そこでリュウヤ隊長にそっくりな竜也をリュウヤ隊長と誤解し襲いかかる4人ですがこの乱闘シーンはよく撮れているなぁと感心。役者さん達も演技は1話の時点でそれなりに出来ているし、アクションもキチンとこなせる人たちを選んできているのが伝わってきます。
特に永井マサルさんなんて今考えるとデビュー当時とはいえ凄い役者さんをキャスティングしてるんだなぁと思います。まだ棒気味な感じはあれど「浅見竜也」というキャラクターを見事に演じきっています。
クロノチェンジャーの初期起動に5人必要という事で竜也を口車に乗せてタイムレンジャーに協力させるユウリ。こういうやりとりや会話でキャラクターの性格が見えてくるのが小林靖子脚本の良い所ですね。
まだ1話ということもあってアテレコは若干下手な感じはありますが、やっぱりビジュアル面では優秀な役者さん達というか、それぞれのキャラクターに合った役者さんをビシッと選んでいるのが伝わってきて好印象。
とはいえ物語はまだ土台に乗っていないので感想としてはこんな所ですね。タイムレンジャーという作品の本質がビシッと見えるのはやはり2話からと言った感じ