きまぐれ最前線

多趣味なオタクがいろんなことを書いていく

小林靖子氏の作風について

巷では「主人公イジメが酷い」「鬱展開が多くて子供向けじゃない」という評価をされている小林靖子さん。代表作は「未来戦隊タイムレンジャー」「仮面ライダー龍騎」「仮面ライダー電王」等、どれも非常に秀逸な物語を手掛けられています。

どうしてもこの作品群を語る際、世間では暗い部分ばかりが特筆され「作品の本質」に当たる部分が疎かにされがちだと感じています。個人的には小林さんの作品を見て、あまり暗さというものは感じないんですよね。
タイムレンジャーにしろ龍騎にしろ、抱えているものは重くてもそれを乗り越える前向きさ、強さという部分に重点が置かれていましたし、彼らは苦しんでも決して諦める事はなかったんですよね。
これは何もタイムレンジャー龍騎だけでなくて他の作品群にも言えることです。
あと「小林作品はよく死人が出る」ということに関しても、見るべきなのは「死んだ彼らの生き様」であり決して死んだ人の数などではありません。黒騎士ブルブラックやタイムファイヤー、仮面ライダー龍騎のライダー達もその人生は確かに壮絶なものでした。ですが、「彼らが自分の人生に悔いを残したか?」というと違うはずです。皆、自分の全てを失ってでも目の前の現実に立ち向かい散っていきました。
全員ではありませんが、死ぬ際にも彼らは自分の思いを誰かに託しました。ブルブラックはギンガマン達に自らの魂と「星を守る」という想いを、直人は竜也に「明日を変える」という想いを、手塚は真司に「闘いを止めてみせろ」と言いましたし、真司も蓮に「俺は闘いを止めたい」という想いを告げて死んでいきました。

確かに小林作品には比較的死人が多いです。ですがそこで重要なのは死んでいった者達の生き様、死に様であり、死んだ者達の想いを受け継いで前へと行動していくヒーロー達の強さではないでしょうか?

こうやって分解していくと小林さんは「自らの弱さを乗り越える強さ」に重点を置いていて、ヒーローをやりながら成長し、最後に真のヒーローとなる作劇を好んで描かれているように感じますし、そういった暗さや重さはあくまで手段に過ぎないという事が分かっていただけたと思います。

重い展開、暗い展開はありますが基本的にどの作品も後腐れなくスッキリと終わるので、正直そういった部分ばかりが先行し語られているのはファンとしては悲しいです。今回の記事はここで終わりにしようと思います。駄文にお付き合い頂きありがとうございました

鳥人戦隊ジェットマンという作品について


この作品はそれまで「絶対正義に傾倒したヒーロー像」の否定と回帰を軸に語られた物語です。
何せ序盤からメンバーが揃わない不測の事態に見舞われ、偶然バードニックウェーブを浴びた正義感もない一般人達によって構成されているのですから。

唯一の正規メンバーである天童竜ですら死に別れた恋人リエのことになると使命を忘れ、私情に走ってしまう問題児揃いの戦隊で、序盤での団結はほぼ皆無に等しかったでしょう。

そういった彼らが一緒に闘っていくことで1つのチームとして纏まっていく「団結の物語」ジェットマンなのです。

チーム最大の問題児が結城 凱(ブラックコンドル)であり、「人間なんて滅びちまった方がいいんじゃねえか?」というヒーローあるまじき発言さえしてしまうのがこの男です。
この結城凱は所謂カッコつけの男で言うこともカッコよくダンディーでありながら、いざという時には情けない姿を晒してしまう弱い男なんですよ。
鹿鳴館 香(ホワイトスワン)に恋心を寄せていたのも、それは竜に対するライバル視、対抗心かたくるもので、いざ香と付き合うことになっても凱は価値観が合わずに自然消滅しています。
本当に子供のような彼ですが、それでも竜をライバル視するのは、何だかんだで彼の実力を認めているがゆえです。だから竜がリエのことで情けない姿を晒しているのが耐えられないのです。
普段はダメダメでもいざという時に決めるのがこの結城凱というキャラクターの魅力です。

さて、上記をみていると凱が主人公の様に思えてきますが、そうとも言い切れません。
ジェットマン「竜という人間の再生の物語」であり、恋人を失い、そこからバイラムとの闘いを通して仲間と団結し一人の人間として立ち直っていく様子を描いています。
思ってもチームがバラバラになる原因のほとんどは竜が原因で、仲間の事情も考えず一方的に正論を押し付けたり、リエのことになって戦意喪失するなど、凱とはまた違ったベクトルで「弱い人間」として描かれます。常に平常を装っているのは、自らの弱さをごまかしているに過ぎない。
終盤でリエが死に、悲しみに明け暮れラディゲへの復讐のためにジェットマンを脱退するなど最後までそれは変わらないのですが、香に「リエさんが好きだったのは地球を守る戦士としての竜だったはず」と説得され、ようやく振り切ったのです。
そのために皆が竜のために動き、ようやく全員揃ったところで劇中三回しか行われていない最後の個人名乗りとアタックを行い、ジェットマンが真の団結に至ったことを示す。
ジェットマンが個人名乗りも含めて行うのは、メンバーそれぞれの息がピッタリ揃ったときのみで、それがこの作品の最大の持ち味なのです。
ジェットマン最大の特筆点は正義だから勝てたのではなく「団結出来たから勝てた」という所であり、序盤はむしろバイラムの方が仲が良く、ジェットマンは本当にただの寄せ集め集団でしたが、後半に行くにつれジェットマンは団結していき、バイラムは仲の悪さ故に自滅崩壊して行きました。
こういった対比や工夫がジェットマン「団結の物語」と言われる所以であります
最終回の後日談、香との結婚式ではリエの幻影を見ても笑顔を向ける竜が描かれています。

最後にあの最終回の後日談について考察してみましょう。よく巷では「凱が死んだのは蛇足だ」という意見は目にしますが私はそうは思いません。
凱はひったくりに刺され、体を引き摺りながらも親友の結婚式に向かい、傷のことも言わずに祝福をします。死ぬかもしれないというのに、凱は満面の笑顔なのです。18話では死を前にし、「死にたくねえ!」と情けない姿を晒した凱が死を前にしても恐れていない。
この一年間で凱は「竜との友情」「仲間との絆」をという大切な物を手に入れ、何の悔いも無かったのではないでしょうか?だから笑顔だったのだと思います。
「人間なんて滅びちまった方が良い」とまで言っていた凱にできた大切な物が、彼らとの絆や友情だっと考えると非常に感慨深くなりますね。


f:id:A-bwf:20171009175506j:plain

「弱い人間」「ヒーローへのアンチテーゼ」を得意とする井上敏樹氏、「男の友情」「正統派ヒーロー」を描く雨宮慶太監督だからこそ手掛けられた「傑作」です。
井上敏樹氏の作品としては最も上手く纏まった作品であると思います。

以上でこの駄文を終わります。お付き合い頂きありがとうございました。

仮面ライダー龍騎という作品について

f:id:A-bwf:20171007152608j:plain



この作品は星獣戦隊ギンガマン「未来戦隊タイムレンジャー」に次いで小林靖子さんがメインライターを手掛けられた作品であり、それまでのライダー像の革新と絶対的正義の否定を軸に語られた物語です

この世界におけるライダーとはつまり、「自らの願いを叶える為に闘う者」であり、全員が自らの信念や正義に基づいて行動しています。
勿論立派な正義や信念を持った者もいれば、本当にしょうもない目的で動く者、自らの暴力的衝動に身を任せる者もいます。
何故、龍騎でこのような物語が志向されたのかは、タイムレンジャーからの流れという文脈で見ると非情に納得できます。何故ならタイムレンジャーの世界には「巨悪」が存在せず、敵組織はただの犯罪者集団です。つまり敵も味方も皆が自らの信念を持って自分の運命と戦っていて、そういった時間の流れや1000年の狭間の中で葛藤するのがタイムレンジャーという物語なのです。
唯一違うのは、タイムレンジャーには弱い人間がいないのに対して、龍騎には弱い人間が沢山います。
ここでいう「弱い」というのは、戦闘力とかそういうことではなく精神的な強さのことです。タイムレンジャーの登場人物は若者や大人、犯罪者みなが芯の強い正義を持ち、「生への渇望」「力への執着」といったものに対して、皆が「自分達の明日を変える」ために行動していました。利己的な目的でも、そこには個人の人生を揺るがすだけの物があり、それに対して全員が強い信念を持って行動していたのです。
対して龍騎は本当にしょうもない弱い人間が登場します。「英雄になりたい」東條(タイガ)や「金持ちになりたい」佐野(インペラー)、「ゲーム感覚で自らが楽しむ為に闘う」芝浦(ガイ)はその典型とも言えます。本当に浅ましく利己的な目的ですが、それが逆にこの作品のリアルさに繋がっているのです。彼らは結局他の強い正義を持つライダー達に淘汰されていくのです。それが龍騎という物語が現代社会の投影たる所以とも言えます。
人間なら誰しもが持っている欲望を叶える覚悟を持った者こそが、この世界における「ライダー」なのです。
仮面ライダー龍騎SPでベルデが言った「人間は皆、ライダーなんだよ‼」という台詞も要は、仮面ライダーがやっている争いは、人間社会を投影させたものに過ぎず、誰かがミラーワールドを閉じても、また誰かが争うためにミラーワールドを起こすのが人間の本質であるということなのです。

そういった利己的な目的で動くライダー達のなかで、人を守る、闘いを止めるという正義感と信念に基づいて闘うのが主人公の仮面ライダー龍騎こと城戸真司、彼はライダー達が持つ背景や信念を知って、闘いを止めるべきか、止めるべきでないかと葛藤するのです。「闘いは止めたいが、それが本当に正しいことなのか?」、そうやって選択を迫られながら悩み続けて、最終的に自らも「ライダー達の闘いを止めたい」という願いを見つけて死んでゆきます。

龍騎という作品の中では殆どが人間としての「ライダー」です。ですが、最後まで人を守る、ライダー達の闘いを止めるために闘った城戸真司だけはヒーローとしての「仮面ライダーだったと言えます。

「それぞれの信念に基づいた正義どうしの闘い」というタイムレンジャーから継承した要素を発展させ仮面ライダーを一度否定することで、新たな視点で仮面ライダーを肯定する」という趣旨で作られた不朽の名作、それがこの「仮面ライダー龍騎」という作品です。

真っ当なヒーローを描くのが得意な小林靖子氏、ヒーローに対するアンチテーゼが得意な井上敏樹氏の2人だからこそ手掛けられた逸品です。

「この世界の片隅に」感想

いやあ素晴らしい作品でした。

こういう所謂「戦争モノ」の映画って戦争の悲惨さを伝えるために、やたらと暗さを全面に押し出すのが多くて、それもあってグッと乗っていけないイメージだったんですが、この作品は見事にそれを払拭させたと言えるでしょう。


f:id:A-bwf:20171007114106j:plain



この映画の趣旨って「戦争」を描くことではなく、「戦争下の日常」を描くのが目的だったんだろうと思います。
思想や政治といった「大きな世界」が変革して動いていっても、すずちゃん達の生きる日常である「小さな世界」は変わらない。
綿密な風景描写による敗戦前の色彩と敗戦後の焦土により伝わる戦争の重さ、そして敗戦を一番悔しがったのはそれまで必死に懸命に頑張ってきたすずちゃんであるということ…
必死に頑張ってきたからこそ、最終的に報われなかったことを嘆いているのです。
こういった現実の非情さが「戦争の不条理」を象徴しています。

主人公のすずちゃんは本当に健気な普通の女の子で、見知らぬところに嫁入りになっても、一生懸命に頑張り、そこで愛を育んでいくといった「当時の女性」そのものなんですよ

絵を描くことが好きで不発弾により右手を失って、絵が描けなくなったとき、挫けそうになっても自分の今いる日常がどれだけ幸せなものであるかに気付き立ち直る訳です。

健気で底抜けに明るいからこそ、苦悩にも重みが生まれるし、日常の幸せや得られたものの温かさを自覚し立ち直っていく姿は、本当に儚く健気で泣けてきます。

ラストでは行き場を失った男の子に懐かれ、子供のいなかった夫婦の養子として迎え、三世代揃って一家団欒する様子が描かれ、この作品は幕を閉じます。

「現実と虚構」「喪失と創造」といったテーマと丹念に描き、失ったものの悲痛さを得たものの大切をもって乗り越える前向きさに勇気を貰えました。



たこの作品は作画による映像美が素晴らしかったです。砂糖の配給が少なくなると人間が嘆いている横で、カブトムシが蜜を吸っている描写も皮肉が効いていて、そういった細かなフォローがこの作品を傑作たらしめています。
様々な世代に向けてお薦めの出来る素晴らしい作品でした。

「二度目の夏、二度と会えない君」感想

先日書店で気になって買って読んでみましたので感想を


何というかこの作品の倫理観が受け入れられませんでした。

簡単な内容説明

主人公(智)が不治の病のヒロイン(憐)に最後言ってはいけないことを言ってしまいヒロインは結局、幸せに死ぬことが出来ず、憐が智に遺した遺書には「ごめんなさい」とだけ書かれていた。
智は激しく後悔し数ヶ月引きこもりの状態となってしまう。
ある時出掛けた智は憐の歌声が聞こえたような気がして、声が聞こえる方に足を踏み出し滑らせ、転がり落ちてしまう。
意識が遠のき、目を覚ますと目の前には、死んだ筈の憐がいた。


はい、んで智は最後、憐に何を語りかけたのか?
次はそこを引用して説明しましょう。

「あたし、智君に、みんなに会えてよかったよ。たった3カ月だったけれど、一生分楽しかった。ねえ、智君。これね、最後のわがままなんだけど… バンド、続けて。前を向いて頑張って。そうしてくれると、あたしは嬉しい」

智(無理だ。燐の代わりなんて見つからない)

いろんな考えが頭をよぎり、混乱した智はたった一つの気持ちを燐に伝えた。

「俺は、お前が好きだよ」

「ずっと好きだった。ずっと一緒にいたいと思ってた。だから…」

智は言葉に詰まって燐の顔を見上げる。すると…

泣き出しそうな燐の顔には、はっきりとした非難の表情が張り付いていた。

燐「なんで、そんなこと言うの」

燐「私は、君やみんなのこと仲間として大切に思っていて…そんなこと言われても迷惑だし…なんでこんなこと私に言わせるの!」

燐「出てってよ」

燐の声は恐ろしいほどに低かった。

智「ごめん、燐。燐がそんなに嫌がるなんて…」

燐「出てって!」

智は逃げるようにして家に帰った。
世の中には伝えてはいけない気持ちもあるのだ…


えーと…何の冗談ですかね?
まず状況として、智くんは憐のことが好きで、だからこそその気持ちを憐に決死の覚悟で伝えたわけですよね?

憐にはもう余命が残されていないから、せめて自分の気持ちを伝えておきたかったから…

なのにまるで智の告白が大罪であるかのような追いつめ方は何なんでしょうか?
「世の中には伝えてはいけない気持ちもあるのだ」という文章もちゃんちゃらおかしいです。恋愛感情なんて普通は誰でも抱くものであり、それを告白するのは人間が当たり前として行うことなんですよ。
これじゃあまるで「人を好きになることは罪」って言ってるようなもんじゃないですか。

100歩譲って智の告白に非があったにせよ、普通はそれを優しく包み込んであげるのが一番良いんですよ。
人が死んで辛いのは本人だけではなくその周辺の人たちも例外ではないのです。
いくら告白が不本意だったとは言えど自分の悲しみを露にして他人まで悲しくさせるってのは不味いんじゃないですか?

それに憐が智の告白を激しく拒否した理由って「自分は仲間として好きだったのに、智が自分に恋愛感情を抱いているのが嫌だった」という凄く身勝手な理由で全く感情移入出来ません。

何より最大の問題は、これらの描写が全てヒロイン視点でしか作られておらず、主人公の気持ちが一切考慮されていないことです

「世の中には伝えてはいけない気持ちもある」をテーマとして据えたいなら一人の視点ではなく、もっと広い視野をもって作劇に取り組むべきでしょう。ヒロインの悲哀を表現するために主人公が理不尽に追い詰められる正に「木を見て森を見ず」状態。

まぁこんなちゃんちゃらおかしい展開から物語が舵を切ってしまった為にその後の展開もイマイチ乗りにくい。
過去に戻った智は「好きだという気持ちを伝えない」為に行動するんですが、そもそもこんな後ろ向きな目的のために動かれても何だかなぁという気はしますし、何より智君は何も悪くないですからね。
物語が全ての罪を智君に着せた状態で物語は進んでいくのでやはり引っ掛かりがあります。

あとはやっぱり憐の描写ですね。過去に戻った状態から憐は本格的に掘り下げられるので「告白されて理不尽に激昂した憐」を既に見てしまった状態では、彼女の明るさはイマイチ響くものにはなりませんでした。
あとその描写を見ても憐は明らかに智に好意を持ってて、「じゃあ何であの時あんなに怒ったんだよ!」と突っ込んでしまいました。

これは「作者が意図してやっていること」なのか「ただ単にそこら辺何も考えずに書いた」のかはさだかではありませんが、ただひとつ言えるのは「人物描写が致命的に下手糞」ってことですかね

ラストは智くんは「好きだという気持ちを伝えない」というやったことは物凄く後ろ向きであるにも関わらず、作品が妙に前向きかのように物語を締め括ってしまった為に上手く纏まらなかった気もしますし…

智は好きだという気持ちを憐に伝えず、憐はそのまま幸せに死んで、最初は「ごめんなさい」と書かれていた遺書が「私もきっと智くんと同じ気持ちだったよ」という言葉に変わっていたという前向きに見せ掛け実際は妙にしみったれたラストでお茶を濁された感じは否めません。

正直、あの遺書でますます憐というキャラが何だったのか分からなくなりました。

憐は智を仲間として好きだったのか異性として好きだったのかは分からないというオチは演出として狙ったんでしょうが、それにしてはキャラクターがブレすぎましたね。

結局こんな本末転倒かつ支離滅裂な物語になるくらいだったら「憐に結局最期まで伝えられなかった気持ちを伝えに過去に戻り、そこから好きだという気持ちを少しずつ深めて最後に告白し憐は笑顔で死ぬ」という物語にした方がベタながらも王道で感動できた気がします。

取り敢えず今度から本を買うときはこんな地雷は二度と踏みたくないものです